クソなプレゼンの作り方

お言葉がお下品で申し訳ございませあそばせ。

昨日プレゼンでダダ滑りしてしまったので、自分のどこがクソだったのかをこの時点で言語化しておいて今後二度とやらないようにしたいと思いnoteにまとめようと思いました。

プレゼン中、目の前の人は寝てるし、ちょっとボケを入れてみても全員が能面のように無表情、プレゼン後の知人からの反応は「めっちゃ良かったです~」と、特に「内容のどこが良かったか」については一切触れず、その場しのぎのやや引きつった笑いをいただきました。

なんで大滑りしてしまったのかの原因は探るまでもなく、学生時代から何年も心に刻んでおいていた鉄則を単に守っていなかったことが原因でした。そのへんを自戒を込めて、まだ記憶が新しいクソプレゼン翌日にまとめてみようかと思います。

読んでくださる方には「あ~確かにこれはクソだね」と嘲笑してもらうか、奇跡的に何かしらの参考になれば幸いです。

ちょっと今回はいつにもまして言葉が汚くなるかもしれませんが、すべて昨日までのクソな自分に向けての戒めの意味を込めて書こうと思います。

プレゼンの概要

本論の前にプレゼンがどういう場でどんな内容をしゃべったのかについて軽く書きます。

プレゼンはかなりカジュアルな場で行ったものでした。
様々な業種の人が各々の仕事をしているコワーキングスペースのような場所での交流の一環で、そこの利用者が自分が話したいことを自由に話すピッチ会が定期的に開催されており、自分もそこに参加しました。

内容は自由とのことだったので、自分が運営していた読書会について昔noteに書いていた内容をほぼリライトするようなかたちで、その場にいる初対面な人たちに自分がやってきたことをしゃべろうと思いました。

商談とかビジネスに関わるような重大なプレゼンではなかったのですが、結構意気込んでいったものの大滑りしてしまいました。

なるべく文章だけで伝わるようにまとめるよう努めますが、イマイチイメージが付きづらい部分もあるかと思い、実際にプレゼンで使用した資料(の差し支えある部分を削除したりマスクしたもの)を以下においておきましたので気になる方は見てみてください。


20分以上の長尺でしゃべりちらかした

色々失敗点はあったものの、最もシンプルで最悪な失敗がここだったと思います。

基本的にプレゼンで良い印象を持たれる因子としての強さは

プレゼンの内容<<<<<<<<<<<プレゼンの時間

だと確信しています。

どんなに良いこと言っていたとしても、それが8分を超えたら危険信号、10分を超えたらほぼ間違いなくクソプレゼンと言って差し支えないでしょう。

好きな有名人の講演会であれば10分以上の話も苦痛ではないと思いますが、それは例外中の例外。好きなYouTuberの動画でさえ15分とかあったら倍速にしたり飛ばし飛ばし見たりしませんでしょうか。

それが、今初めて会った人間からいきなり20分以上の話を強制的に聞かされるとしたら地獄以外の何物でもありません。聞き手の集中力が切れた状態で叩き込まれるプレゼン以上に不快なノイズはありません。

完全にコミュ障によるナルシスト自己満プレゼン認定されていたことは間違いないと思います。


最も重要な"削ぎ落とす作業"を怠った

プレゼン内容を作る際は言いたいことを並べた上で、そこから規定の時間の中に収めようと、内容を精査して削ぎ落とす作業の中で磨かれていきます。

プレゼンは伝えたいことをまとめることよりむしろ「伝えたいことの中でどこを切り捨てるのか」を考えながらプレゼン内容を修正していく時間のほうがプレゼンのクオリティを左右することは経験則上わかっていました。

自分の場合、大体制限時間10分のプレゼンの内容を考える場合、普通に言いたいことをまとめるとどうしても18~20分くらいになってしまうことが常でした。

しかしこれまでの経験から、20分程度のプレゼンの内容でも時間をきちんとかければ10分にでも5分にでもまとめることは可能で、むしろ内容を精査して削ぎ落としていけば削ぎ落とすほど本番で高く評価されました。削ぎ落としたことで冗長な説明や重複がなくなり、本来伝えたいことがクリアになっていきます。

今回、プレゼン資料を作って自分でしゃべってみても20分以上かかることは事前にわかっていました。

しかし、言い訳ですが事前に制限時間を運営から通達されていなかったのもあり、これくらいでもいいかと安易に考えてしまっていました。


「自分はプレゼンがうまい」と慢心していた

とは言え例え事前に時間の目安を言われていなかったとしても、20分もしゃべろうと思うのは自分自身のクソすぎる慢心でありおごりです。謙虚さのかけらもない。

この慢心と謙虚さの欠如がプレゼンでの失敗の根幹にあったのですが、30歳も超えてある程度仕事の中で成功体験を重ねてくると「みんな自分の話を聞いてくれる」「自分のプレゼンは有益だ」「自分の話は面白い」というアホな勘違いが心の片隅にカビのように蓄積していきます。

例えばこのプレゼンの数日前には、自分が所属している会社のチームメンバーに向けて、自分が受講したGoogleのUXデザイン講習の報告会を行いました。(この内容もnoteにまとめています)
こちらがかなり好評でした。

こっちは業務の合間に資料作りをしなければならず、発表練習もそこそこに喋りだしたら30分弱ノンストップで一人喋りをすることになってしまいました。

自分でも話す内容を精査していなかったのであまり細かくどんな内容をしゃべっていたのか覚えていないくらいだったのですが、終わった後に上司やチームメンバーからは大絶賛され、様々な質問が飛び交いました。

この経験からも「あれ、やっぱり自分てしゃべりのセンスあるんじゃね?」と正直考えてしまっていました。

しかしこの考えが浅はか of 浅はか、クソの中のクソ。アホで低能で救いようのないバカだと思い知らされました。


聞く人は誰かなのか、を考えていなかった

前述のチームメンバーへの報告会は言うまでもなく自分のことを知っている人たちです。

おまけに同じ仕事をしているため、自分の発表内容に関心があったのは当たり前です。自分の発表スキルが高かったのではなく、単に発表者のことを知っていて発表内容に興味がある人が集まる場だったので、報告会が成功した(ように見えた)のは当たり前です。

スキルではなく単に場がそうさせていたにもかかわらず、自分は「自分の発表内容やしゃべりが良かったんだ!」と勘違いしてしまいました。

そして昨日のプレゼンの場に集まる人は全く逆。

自分のことも知らず、何なら自分が何についてしゃべるのかも事前に告知されていないような状態で、なんとなく集まった人たちでした。

そのような人たちに向けては、身内に話すようなスタンスで話していては通用しないことは明白です。ここを完全に見誤っていました。


冒頭に「話を聞く動機づけ」をしなかった

昨日のような「壇上で話す人間も内容も全然良くわかんないけどとりあえず集まった」ような人たちに向けては、もっとその人達の立場になって、少しでも話しに興味を持ってもらうように仕向けなくてはなりません。
これは自分の話を聞いてもらいたい!という気持ち以前に、時間をあけて集まってきてくれている人に対してのマナーとか心遣いの問題です。

そこに集まった人たちは、それぞれに事業を行っているような人たちで興味関心は主に「この場に集まっている人達がどんなビジネスをしているのか」に寄っています。あわよくば、仲間を見つけたい、というふうに考えてる人もいるでしょう。

そういった人たちに向けていきなりなんの脈略もなく「読書会はいいですよ」なんて話をしたら地獄です。しかもそれが20分以上の長尺ともなったらマサラタウンでコラッタをLv100まで育てる以上の苦行です。

話す内容は変えないにしても、まずこの話を聞くのは誰なのか、というペルソナの設定をした上でそこに合わせて話す内容を設計していくべきでした。

例えば今の自分であれば、集まる人達は以下のようなモチベーションを持っているだろうとまずきちんと仮説をたてると思います。

・身近にいる人達がどんなことをしているのか知りたい
・気が合いそうだったら仲間を増やしたい

そうした場合、この読書会のプレゼンの中で響きそうな部分は恐らく
「読書会をやれば友達ができる」
という部分にあるように感じます。

そのため、もし今の自分であればプレゼンの冒頭に

「この話を聞いた後、皆さんは初対面の人同士でも仲良くなれる秘訣がわかります!」

というような「この話は聞く価値がありますよ!」という話す側への話を聞く動機づけをまず行ってあげるべきでした。
こう宣言することで、聞く側の心理的な負担を減らすだけでなく発表する自分も「これを伝えればいい」というプレゼンの指針ができ、プレゼン内容を削ぎ落としていく際も有効な判断材料を得ることになります。

一方でこれがなければ「この話は自分にとって価値があるのか?」というような不安がずっと頭の片隅に残ってしまい、聞き手が話に集中できません。
ただただ発表者が話したいことを話しているだけの、クソつまらないナルシストなプレゼンを延々と聞かされる地獄をお届けすることになります。
というかそういう地獄を全力の下準備と丁寧な梱包でお届けしていたのが昨日の自分でした。


noteにも言えるはなし

ここまでクソプレゼンに対してクソ散らかし(?)ましたが、この内容はほぼテキストでのnoteにも言えることかとも思います。

特にこのnoteが誰が読むのかを考えて、その人達に対してきちんとこのnoteを読む動機づけを与えてあげることは非常に重要な考えだと思います。

自分はnoteを自分の思考の整理や英語学習の動機として使っている部分が最近多くなってきたためこの部分が少しおざなりになっていたなぁと考えさせられたりしました。

また、このnoteの文字量も現時点で4000文字を超えているあたりお察しいただきたいところではあるのですが、どうしても話したい内容を衝動的に書き連ねてしまうところがあるため、書いたnoteを読み直して、定期的に内容を精査して削ぎ落としていく作業もやっていく必要があるなぁと思いました。

悔やんでも後の祭りなのでもう自分をクソクソ言うのはここまでにして、明日から心を入れ替えて頑張りたいと思います。慢心はダメ、絶対!

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