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車を絶対買わない自分がマツダの株を持ち続ける理由

20代で少額から投資をはじめ、かれこれ4年ほど様々な投資を行っています。

ただ投資とは言っても現在は基本的には米国株や先進国国債のインデックス投資信託を中心にわりと手堅く運用しているのですが、資産全体の1~2割程度は日本の個別銘柄や仮想通貨など、自分で考えながら投資先を決める枠として確保しています。

なんとなく高配当株に興味が出てきたら調べて買ってみたり、NFTが盛り上がりそうだなぁと思ったらイーサを購入してみたり、、と自分で決めた枠内に収めるというルールのもとフラフラとお金を流してみたりしているのですが、その中で私は自動車メーカーのマツダへの株を長期で保有しています。

タイトルにもある通り自分は自動車を保有しておらず今後も買う予定はないのですが、今回はなぜ自分がマツダに投資しているのか、という理由を記事にしてみたいと考えました。

車は絶対買わないけど、もしマツダが死ぬときは仕事人としての自分も死ぬのかもしれない、そんなことを考えながら投資をしている一投資素人の駄文です。

ぶっちゃけ旨味が乏しいマツダ株

まずは感情抜きに客観的な視点としてマツダ株について素人なりに概観を説明してみたいと思います。

まず2022/01/03現在、マツダ(7261)の株価は885円、1株あたりの配当金は15円のため配当利回りは1.7%ほど。株主優待などはありません。

他の上場企業では2%程度の配当利回りに加えて株主優待がある銘柄などが多く存在する中、株主優待なしで配当利回り1.7%というのは、自分のような長期保有を念頭に主に株の配当や優待で恩恵を受けようとするインカムゲイン目的な個人投資家にはあまり魅力がありません。
さらに昨年はコロナの影響で配当がない無配転落もしているため、今後も継続的に配当を得られるかどうかは非常に不透明です。

さらに、株価も右肩上がりの順調な成長とは言いづらい状況がずっと続いています。

マツダはもともとそのエンジンの技術に大きな強みを持っていた企業だったのですが、昨今世界的な電気自動車へのシフトが叫ばれており、エンジンの必要のない電気自動車に対しては長年培ってきたマツダの強みが活かせません。

そのような状況は同じくエンジンを強みとしていた他の多くの日本自動車メーカーにも逆風となっているのですが、昨年末にTOYOTAが電気自動車へ大きく舵取りをすることを宣言したように、マツダもその流れに抗うことは不可能でしょう。
しかし、規模も資金力も劣るマツダがTOYOTAほどの大胆でダイナミックな施策の転換を行う体力があるのかは甚だ疑問があります。

インカムゲインの旨味も少ない上、ビジネスの今後も非常に不透明なマツダには今後大きな株価上昇への期待も乏しいように思えます。

しかし、そんなマツダ株を私は大事に大事にずっと握りしめていたりします。


デザイナーとして感じる「企業としてのマツダ」の魅力

以前noteに読書メモを書いたのですが、マツダの常務執行役員でありデザイン最高責任者である前田育男さんの本を読んで泣くほど感銘を受けました。夜のファミレスでビジネス書を読みながら一人で涙ぐんでる自分は完全にヤバいヤツだったのですが、それほどの力がこの本にはありました。

この本の内容を雑に説明するなら、日本の大企業のしがらみの中でデザイナーがわがままを通しつづけた話です。

企業体が大きくなればなるほど様々な人の意見や利害関係に晒され、誰か個人が持っていた熱い思いや美意識はどんどん摩耗していき、最終成果物はアイディアが生まれたときの輝きを失ってしまった凡庸なものになってしまう、ということはよくある話だったりします。

特にデザイナーの仕事は「これがどれくらいの収益につながるか」と言った目に見える数値化が難しい部分が多く、大企業の中のしがらみに揉まれて「合理的だけど面白くない」デザインに落ち着きがちだったりします。
そしてそういったデザインは往々にしてビジネス的な成功も収めることなく消えていったりします。

そのため、大企業の中で働くデザイナーもなるべくそういった企業の姿勢に迎合し、自分の主張に周りの意見に潰されないような強さを持たせるべく、顧客の声を聞いたりするなどでデザインの数値化、データ化を試みたりします。

しかし、前田さんはそのようなデザインに明確にNOを突きつけました。顧客アンケートなどの安直な施策に頼るのではなく、自分が思い描く最高のデザインをひたすらに追求し、言葉や数字ではなくデザインの美しさと力でマツダという巨大企業の中で合意形成を図っていった稀有な存在です。

大企業の内外で生まれる様々な声を取り入れながらデザインを生み出していくのが民主的なデザインとするなら、前田さんのデザインはまさに独裁的で、それを車という構造もそこに絡む利害関係もトップレベルに複雑な製品で一人・一部署の考えを貫き通しました。
そして、何よりもそれを実現させたマツダという企業の中に存在するデザインへの深い理解と情熱によって全員が一丸となってものづくりに取り組む姿勢を感じることができます。
その結果としてワールド・カー・アワーズと言った世界的な賞を立て続けに受賞しました。

何よりこの本に書かれていることが嘘ではないということは街中を走るマツダ車を見るたびに思います。

あくまで個人の一意見ですが、マツダ車のデザインは日本車のみならず他国の高級車と並んだときでも全く見劣りすることなく、ひと目で息を飲むような緊張感や色気を感じます。

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無駄のない造形美と、太陽光が反射するラインの艶やかさは、設計、クレイモデラー、板金、塗装など様々な工程に関わる多くの多くの人たちが共通したデザイン思想を根本に据えて製品を作り込まなければ実現しません。

メーカーでデザインをしていた自分からするとこの造形美の背後にある多くの人の苦労や困難が透けて見え、その上に成り立っているマツダ車の美しさには敬意の念を抱かずにはいられません。

このような一本の筋の通ったデザインを”車”という複雑かつ膨大なステークホルダーを有した製品で、しかも世界的にも特殊な日本企業という体質の中で実現させていることは前田さんの力はもちろんですが、マツダという企業の体質自体にもとてつもない魅力を感じてしまいます。


マツダに自分の人生を重ねて株を保有しつづける

このように、ある面では抽象的で非論理的な美的感覚を大勢の人々が根本に据えて一つの製品を生み出せる企業というのは本当に稀有な存在と思います。
それを証明するかのように、マツダのデザインだけではなく、チームとしての取り組み自体にも世界的な賞を獲得していたりします。

本などから得た情報と世に出されている製品の素晴らしさにこれほどまで一貫性と納得感がある企業というものを私はマツダ以外に思いつきません。

もちろん部外者のためその内情を詳しく知ることはできないのですが、自分の知る限りでのマツダの姿はまさに自分が理想とする企業像だったりします。

見方を変えると、マツダの行く末が自分の理想とする企業の未来であり、万が一マツダがダメになってしまったときは、自分のこれまでずっと目指してきたものを否定されることになる気がしています。

例え(万が一)自分が前田さんのように頑張ってマツダのような企業体質を内部から作れたとしても、ビジネスが存続できないのであれば理由はどうあれ自分の根本にある考え方が間違っていたことになってしまいます。

つまり多少大袈裟な表現ですが自分の人生の否定であることは間違いありません。

そのような一企業の行く末に自分の人生を重ねて期待と不安を抱えながら株を保有をし続けるのは、ちょっと変態な気もしつつ株価の動向を見るのが楽しくもあったりします。


自分の想いを乗せて投資してみる

記事を書きながら思い出したのですが、過去にこのハッシュタグ企画の主催である日本証券業協会の方が主催して東京大学で行われたワークショップ型の授業でも我々のチームで似た主張をしていました。

2018年度の「お金の未来と投資のブランドデザイン」というお題目に対して、我々のチームは「人の”好き”という感情による投資」という提案を行ってそのクールのグランプリをいただきました。結構これに近い想いで今も自分が投資していることに気づきました。

投資というと難しそうで怖いイメージがありましたが、実際やってみると「この会社は面白そう」とか「この分野は応援したい!」と言ったことが見えてきて、お金を動かしていくうちに色々なことが学べる気がしています。

本年も地道にコツコツ積立投資を行いつつ、引き続きマツダを応援していきたいと想いました。

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@やました
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読んでいる本のメモをつぶやいています。
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