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自分の思う「良い習慣」に縛られていたかも、という話

習慣化のちからは私が言うまでもなく各所で論じられています。

ちまたに溢れる成功者たちを見ても例外なく毎日欠かさず行っている素晴らしいルーティンがあります。

ブログを投稿したり、朝は散歩や運動したり、寝る前は読書をしたり、、、

もはや人生は「習慣化獲得ゲーム」なんじゃないかとすら思わされたりしてしまう僕なのですが、先日コロナ陽性を喰らい10日間自宅隔離になったことで今まで考えもしなかったところに思考の枝が伸びていきました。

"生活はそこそこ満たされているはずなのに、なぜか落ち込みがちになる"
”日々原因不明な焦燥感に追われて気分が晴れない”

最近の自分がまさにそうだったのですが、もしかしたらこのような気持ちを抱えている人の手助けのヒントになるかもしれないと思ったため記事にしようと思いました。


大習慣化時代

本屋へ行けばここ数年「習慣」というのが一つの人気ワードとなっている気がします。
ある本では偉人たちの習慣を取り上げて解説し、またある本ではいかにして習慣を獲得するか、といったノウハウが詰まっています。

またYouTubeでは投稿者の「モーニングルーティン」は一つの定番人気コンテンツとして定着しています。

自分もそういった習慣のちからの恩恵を少なからず受けていました。

昨年夏までは1年間毎朝スタディサプリでTOEIC学習を行い、スコアを150ほど伸ばすことができました。

今は毎朝リモートワークをする前の1時間程度Google UX Design プロフェッショナル認定というオンライン学習を行い、夜はジムに言って筋トレをして、サウナと水風呂に入っていました。

予定のない週末は2~3時間ほど散歩し、またジムに行って筋トレをします。

朝の学習は別ですが、ジムの筋トレやサウナ、週末の散歩はどちらかというと自分の身体やメンタルを保つために必要と思いこんでいたもので、頑張って継続しているというよりは、やらないとマズイんじゃないか、という謎の強迫観念から身体に染み付いていた習慣でした。

その甲斐もあり身体の状態は良好で、体脂肪率や筋肉量なども自分の納得できる一定のラインをキープすることができています。

習慣化するまでは億劫でも、一度習慣さえ獲得すれば心理的な抵抗はどんどん少なくなっていき、それが自己実現・自己成長につながっていく、という習慣化の力は自分も身を持って経験していました。


生活に強制ストップがかかり心が軽くなった話

しかし、先日コロナ陽性となってしまい、家から外に出ることができなくなりました。

さらに土日は非常に天気も良く、「あー、きっと夕方あたりに一歩も外に出れない自分に憂鬱になってそうだなぁ」と朝から考えたりしていました。

そもそも、最近の土日は自宅でやらなければならない作業があり外に出ることがあまりできず、鬱々としながら家に引きこもっていたりしました。

自分の場合は休日の昼過ぎくらいまで一歩も外に出れないとどんどん憂鬱になっていき、1日中外に出れなければ休日を無駄にしてしまった気がしてイライラしてしまうことを知っていました。それが天気の良い日であればなおさら。

なのできっとこの週末も憂鬱なまま終わるのだろうと思っていたのですが、予想に反して非常に健やかに過ごすことができました。

もちろん病人なので体調は本調子ではないのですが、「自分の意思で外には出られない」という制限がかえって家で有意義に過ごす時間の使い方を考えることができた気がします。

朝からベッドカバーやシーツを洗濯し、ずっと片付けられていなかったデスクを整理して不用品を処分したりと、家の作業をこなしていくとあっという間に時間が過ぎ、きれいになった部屋を見るとむしろ何時間も散歩してジムに行っていた週末より晴れやかな気分になっている自分に気が付きました。

そして平日も夜ほぼ決まった時間にジムに行っていたのですが、それもできなくなったことで、早めにシャワーを浴びて本を読む時間ができたりと、強制ストップのかかった習慣にかけていた時間のスキマに新たな時間を創造する余地が出てきました。

そしてそれがかなり自分には心地よい生活のリズムになりつつあります。


一度生活のリズムを強制的に崩してみる

自分はコロナがきっかけとなりましたが、このようなかたちで「自分が良いと思って疑わなかった習慣」をあえて強制的にストップさせてみると、その習慣がなくなった部分に新たな時間が生まれて、実は自分がやりたかったけれどできていなかったことなどに取り組むことができるという気付きがありました。

「習慣」のちからは偉大です。その事実を自分は理解していますし、様々な習慣を獲得している人を尊敬しています。

しかし「習慣」って自分が"良い"と信じている上に、それを獲得するためにある程度の努力も要しているものであるため、逆に生活の中から抜くことがめちゃくちゃしづらいものであるという側面もあることに気づきました。

そのため何か新しいことにチャレンジしようとしたとき、24時間という時間のどこにその時間を割くかを考えた場合、この習慣の部分を削るという思考には行きづらいという危険性もはらんでいるような気がしました。

そしてそれ多くの習慣を生活の中に取り入れている真面目でストイックな人ほど、もしかしたら一方では生活の柔軟性がなくなってしまっているかもしれない、と考えたコロナ患者の主張でした。

この内容はstandFMでも話しています。


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