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感情のコンクリ詰め

私は、少しだけ普通とは違う家庭で育った、と思ってました。


両親の仲が少し悪いだけ

うちの両親は長年別居していました。そして、子らが成人した後に裁判までして離婚。
父と母は小学生くらいからは別居していたり、たまに父が家に帰ってきたりしていたけど「でも離婚はしていないから、他人にはこの状態を話できないけれど、まあほぼ普通の家庭」と思い込んでいました。
そう、思い込んで。

感情の振れ幅がでかい

大人になって、長く付き合う恋人ができました。長く付き合うにつれ、本当の自分を出したいと思うもの。でも今、これを書いていると出したいと思ったというより「出した方がいいのだろうな、出すべきなのだろうな」と思っていたな。
たまに、相手が私のことをないがしろにした、と感じると、ものすごく悲しくなったり、やり場のない怒りみたいなものがふつふつと沸くようになりました。
実家にいてた時にはあまり感じなかった感情。
長く付き合う恋人だからかな、とかのんきに考えていた時もありました。
でも、ある日「そんなに怒るなんてちょっと異常だよ」というニュアンスのことを言われてはた、と気づく。そういえば、高校か大学の時に「自分ってアダルトチルドレンかも?」と思ったということを。
ふわっと自己診断程度ですが、アダルトチルドレンかもなー、まあありうるなーとは思っていました。
この時も、相手には事情があるということや、ここまで感情が大きく揺れるのは少しおかしいな、と客観的に見てる自分がいたので、自分なりに、その状況や自分の感情、どうして怒るか、理解しようとしました。そして理解したつもり、でした。

一向に収まらない怒り。

でも、理性的に過ごせば過ごすほど、ある一定のタイミングで爆発するときがくる。そりゃそうです、だって、我慢してるだけだから。本当の原因を見ていないからいつか爆発しますよね。
イメージは、感情を蓋のついたバケツに入れた後、周りをコンクリで固めている感じ。コンクリをきれいに固めるから、一見、問題がなくなったように見える。でも、中で実は沸騰していて、爆発するときがくる。

そもそも自分がアダルトチルドレンではないかと思ったのか

なぜアダルトチルドレンかも、ということを疑ったか、というと、優等生だったんです、小さいときから。でもどこかそれは本当の自分ではないと感じているところもあって。
そして親の別居という環境的なものも含めていろいろ調べていると、「自分はもしかしてアダルトチルドレンかもしれないな」と思っていました。
でもそこまで困っていないというか、困るときはあるけど、常ではないというか。
それにもしそうだったとしても、今まで生きてこれたし、なんとかなるだろ、みたいな。
それに、友達もたくさんいるし(自分はあまり友達と思っていない人も含めて)はたから見れば「友達も多い、成績優秀なクラスのリーダー的存在」みたいな立ち位置で長年来ていたので、特に人生に問題はないと思っていました。まあ今振り返ると、それがもう問題大有り、なんですけども笑・・・えないw

本当にしんどいのはまだ先

こうやってきてたのが、子育てをしはじめてからみるみるダメになりました。だって、子育てって自分の思いだけではうまくいくことの方が少ない。だからそれにいちいち反応していたら身が持たない。身が持たないとわかっていても、感情が反応する。余裕があればいいけれど、余裕がなければイライラしてしまう。でもイライラする自分も許せないから、その感情に蓋をして「なかったこと」にしていく。「こうあるべき」という親に自分がなろうとしていっぱいいっぱいになる・・・。
ある日、子が言ったことに応えられない自分に腹が立って悲しくて、一緒に泣いたことがありました。ぶつぶつ言いながら一緒に泣いてしまい、ここではたと「ああ、もう自分はだめだ。これはなんとかしないと」と思ったのです。
やっと自分に向き合った瞬間。
そんな感じでした。

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