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親が作るものさし

親も万能じゃない、と気づいたのは中学生だったか高校生だったか。

あなたが気づいたのはいつ?

親が言ってることに疑問を持ち始めたのは中学生か高校生か。
それまで、親の言うことは絶対で、間違いなんてないものだと思っていたけれど何かのきっかけで「あれ?」と思いました。
でも思ってもなかなかそこから抜け出すのって難しかった。なぜか。それはその環境から離れることができなかったから。
うっすら、中学生くらいで「あれ?」って思い出して高校生で「あれあれ??」くらいかな。
小学生の時は、親の言うことに間違いはなくて、親の言うことさえ聞いていれば大丈夫だと思ってたのが、だんだんと違うな、と思い出した。

いや、人の話聞けよ

勉強を教えてもらうこともなくなり、成績だけを管理されていたから、親が言う高校にさえ行けばなんとかなる、と思っていた。でも成績もアップダウンがあるから、成績が下がるときも、なかなか勉強できないときもある。でも言い訳は聞かれず怒られる、てことがあった。
何度か「話を聞いて」といったけれどまったく聞かれず、聞く姿勢は見せるものの理解してない。
なんなら、感情的に怒ってくる。
あ、これあかんやつや、その時は言葉にできなかったけど、どこかで気づいてしまったのだ。

今まで親を信じ切ってたけど、違うな

目の前で、人の話を聞かず、理解しようともせず、私ができなかったことを責める親を見て、自分が高校生の時こんなことできなかったくせに、とかも思い始めてしまうと、もう親を信じ切れなくなってしまった。
というより、今までも別に信じ切っていなかったのだと思うのだけれど、ここで気づいてしまった、っていう感じだったと思う。
でもそれまで「私の家族はちょっと普通とは違うだけ」と思い込んでいた私なので、親の様子がおかしくても少々のことじゃ「気のせい」「今日は虫の居所が悪かったかな」「まあ、わからないこともあるんだろう」といろんな理由を持ってきて自分を納得させるのはわけもなかったのです。
今思えば、ここで「なんで親はここまで怒ってるのだろう」とか「こんな起こる必要あるのか」とか客観的に考えられたらよかったのだろうけれど、まー長い間、自己暗示をかけてた私には無理でした笑
今、あの時を振り返っても、あの時の自分には難しかったんじゃないかな。たぶん、気づいてしまったら、もうそこにいられなかったと思うの。
でも子供だから家がないと困るし、生きていけなくなっちゃったら困るよね。そう思ってる時点で、その先には進めないっていうのも事実なのだけれど、子どもの私にはできなかった。そこまでは強くなかった。だから自分を騙すことを選んだ。
でも、ここでなんとなく「教育(家庭教育)って洗脳なんだな」と思った。だって自分の世界のスタンダードは家庭教育で作られてしまう。他の家庭がどうなのか、話を聞いて比べることはできても、本当の意味で他人の家庭の感覚と自分の感覚がどう違うかなんて理解ができない、永遠に。

こんな人、実は多いんじゃないかな

毒親の元で育った人は、私と同じ感覚の人もいるのじゃないかと思う。しかもハッキリと自分で「自分の親は毒親だね」と言える人じゃなく、「毒親・・・かなあ??」くらいの感覚の人。
おかしいな、と思うところもあるけれど、それ以上気づけない、とか気づきたくない、みたいな。
もし今「自分の感覚っておかしいのかな」って思っている人は自分の感覚を一度信じてあげてほしい。
なぜなら私はこれに気づきながらも自分を騙して、うまくバランスをとってしまったがために、しんどい思いがずっと続いたから。
あなたが今感じている違和感は、本当の自分からのSOSかもしれない。
自分の勘違いなのか、本当に親がおかしいのか。それを自分のために見てあげてほしい。
一人ではわからないことも多いから(スタンダードが自分の家庭になってしまうから)、人の手を借りることも大切だよ。

今、生きづらい人が一刻も早く自分の人生を歩めるように。
動くよ、私は。

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