教材研究覚書「聞いて、考えを深めよう」(光村・小6国語)

(加筆修正 24.4.27 14:40)

 若手の先生から「この単元の進め方で困っています。どうしたらいいでしょうか。」と相談を受けたので、一緒に考えることにしました。こうやって声をかけてもらえるのは嬉しいことですし、何歳になっても何年目になっても声をかけてもらえるようにやっていきたいものです。人間や、その職能に賞味期限があるかのような言説はあまり好まないのですが、「もう終わった人」とされるのはもっと好まないので、ある意味ではこの仕事を続けていく上での重要な目標のような気がします。「この教科のことならおれに聞け」とまあ、不遜な思いを喧伝するつもりはありませんが、はい。なんかそんな感じで在りたいなと思います。

 本単元は、学校を支える人、地域のボランティアなどで学校に関わる人にインタビューをし、その思いを聞き取り、自分の考えを深めることを目的とするものです。インタビューで得た情報や深まった考えを学級の中で報告/発表/共有し単元を閉じる、というのが教科書で示されている流れになります。

 さて、若手の先生と教科書をざっと眺めて出てきた感想は「なんか、おもんなくない?」でした。
 教科書の作成・編集に関わった多くの人たちを貶めす意図はありません。教科書を概観して「おもんなさ」を感じてしまうのは、教師自身が単元や授業の構想を充分に想起できていない、具体的に思い描けていないからに他なりません。これを「おもろい単元/授業」にしていくためのあれやこれやを考えていく必要があるのです。
 インタビューは、まず何かしらの媒体で発表されることが前提にあります。ですので、その発表媒体や形式を固める必要があります。換言するなら「単元の出口を設定する」ということになります。また、単元名にもなっている「考えを深めよう」が曲者です。どんなことを言えれば考えが深まったと評価できるのかを具体的に想定する必要があるのです。
 そういう視点から教科書を見ると、なるほど落とし漏れなく構成されています。教科書の通りに進めることができれば、単元として一定水準は確保されそうだと予感できます。磨くべきは教科書の記載内容ではなく、単元を構想、構成する我々の「単元デザイン能力」ということになります。

 とは言っても、様々なことを勘案して、教科書通りの進行から変えなくてはならない部分もあります。それが、「学級の中で報告/発表/共有し単元を閉じる」という単元終末の部分です。
 なぜ報告の対象が学級なのかというと、「インタビューをして自分の考えを深める」ことが深く関わっています。自分の考えが深まった、という個人内部の話を誰にすればいいのか、ということです。児童の中で発生した思考の深まりが、児童の中だけで留まっていては、我々教師が評価できないのです。かといってインタビューした対象に「〇〇さんのお話を聞いて、こういう感じで考えが深まりました。」となっても、評価は難しい。全てのインタビュー場面に教師が常駐できるわけではないですし、全てのインタビューの録音データを聞き返しながら評価するには時間が圧倒的に足りません。評価と、そして何より児童本人の「学びの自覚」を促すことを目的として、学級への報告が設定されているのです。
 しかし大きな問題として立ち塞がったのは「学級の人数」です。私たちが相談して構想している授業は、特別支援学級で行われるものであり、人数が非常に少ない。このことで幾分かの制約が発生すると考えました。
 もちろん、この問題を様々に解決する方法はありますし検討もしました。が、結局は単元の開始が迫っている等の問題があり、採用を見送ることにしました。

 以上のことを踏まえて、「学級の中で報告/発表/共有」の部分は、「1年生に報告/発表/共有」という形に変更しました。さらに、1年生と地域ボランティアの方たちの距離感を考えて、インタビュー対象も「自校の教職員」に変更しました。入学したての1年生の活動は、まずは距離の近い自校の教職員を知る、自校の施設設備を知ることから始まるからです。
 1年生に報告する、という設定に無理がないわけではありません。6年生と1年生では、発達の段階に大きな差があります。報告する際の言葉の選び方、表現の仕方に注意を払わなければ伝わらない=活動の達成感や満足度が下がることになります。当然、平易な言葉や表現を使わざるを得ないわけですが、そうやって言葉や表現を易しくするしかない6年生を「6年生として」評価するのはちょっと厳しくないだろうか、という懸念がありましたが、インタビュー計画時と振り返り時の活動を細かく詰めていくことでなんとか解決の道筋をつけることができました。
 今のところ、若手の先生は楽しく単元を進めることができているようですし、児童も予想を上回る活躍を見せているようです。

 若手の先生と授業のこと、単元のことを考えるのはいつも難しく楽しいものです。私だけが楽しんでいたらそれはそれで最悪の先輩になってしまうのですが、改めて教科書の構成の手堅さや、それを受けて授業を構成する私たちに求められる職能について、考える機会となりました。