クリエイティブ思考〜センスとは〜
前回、クリエイティブ思考について投稿させていただきまして、こちらもご反響いただきありがとうございます。
創造することよりも創造し続けることが大変だということを前回お伝えしましたが、クリエイティブなことを行っていると必ず多くの方々に言われることが一つあります。
そのキーワードは
「センス」
です。
書の作品を書いて
「この余白の残し方。これはセンスですよね〜。」
とか。
プレゼン資料を見ていただいた際に
「さすがですね〜。これはやはりセンスですよね。才能があるってうらやましいです。」
といったお言葉をいただきます。
大変うれしくも、恐縮してしまいます。
「センス」の一言で片付けてしまうのはとても簡単なのですが、
この部分を少し深掘りしてみたいと思います。
そもそも「センス」とは何か?
三省堂 大辞林では次のように示されています。
センス:物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。
Wikipediaではこんな感じ。
センスは、英語で感度や五感の意味。転じて、美的感覚や感性のこと。才能と似た意味である。
ということで、能力ともとらえられていたり、感覚、感性、才能ともとらえられています。
では、どういったときに「センス」という言葉が持ち出されるかを考えてみると、
自分にはない才能を持っている人を目の当たりにした時
ではないでしょうか?
この時、3つのシチュエーションが想定されます。
1.全く経験がないものに対して、客観的に優れたものを見せられた時
2.少し経験しているが故に、それレベルの高さを知ることができており、自分にはその領域の事柄はできないと判断した時
3.非常に幼い子が大人顔負けのことを成し遂げているのを見せられた時
これらに共通しているのは、あくまで「センスがある」と発言する人から見た一方的な見解であるということです。
逆に「センスがある」と言われた方からすると一様に
「そんなことないです。」
「私なんてまだまだです。」
とコメントします。
非常に謙虚なコメントです。
結論から言うと、
「センス」なんてものはない
ということです。
センスがあるように見える人たちは
何かしらとてつもない時間やとてつもない量、とてつもない経験を積んでいます。
しかも、義務的に行っているのではなく、自発的に気づかぬうちに行っていたりするのです。
つまり、センスというのはあくまで他者からみた時の表現として使用されるものであり、当事者からすれば、ただ単にその事柄に時間を費やしたことの現れなのです。
あなたの知らない事をその人は人生の中で一定以上の時間を費やす事でセンスという風に呼ばれる事柄を内在しているに過ぎないのです。
小さな子供が大人顔負けに行うパフォーマンスも、その年にしてすごいね!と思われてもおかしくないくらいの時間を費やしているわけです。
そのギャップに対してセンスと言い換えているに過ぎません。
センスとは、他者よりも時間をかけて営む行為によって培われたスキルを他者目線でみたときの表現
なのです。
多くのものを見たり
多くのものを知ったりすれば
自ずと知識や見識がついてきます。
様々なサンプルを自分の引き出しに詰め込み
アウトプットする際に最適な引き出しから最適なものを紡ぎ出す。
このプロセスの時間が瞬時に行われるために
人はそれを「センス」と呼ぶのです。
センスは誰もが身につけることができるスキルなのです。
とはいえ、時間をかければ良いというものではなく、
興味がないものに対して強制的に行っても結果は伴わないでしょう。
また、そのセンスが一人一人異なるのは、前回のクリエイティブ思考でお伝えした通り、
1.異文化・異業界の経験時間×経験回数
2.人生観(教育×環境)
の2つが加わってくるからこそ違いが出てくるわけです。
クリエイティブ思考における創造の先にある「創造し続ける」とは、まさにその
「センスを磨く行為」
そのものに他ならないのです。
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