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東海道四谷怪談に魅せられて

「上演しはる時にな、お墓参りするんやで」

「お墓参り? だれの?」

「お岩さんや。お参りせんと舞台で演じたら、お岩さん怒りはるやろ」


子供のころにした、母との会話をいまだに覚えている。

母は、心霊番組とか、世界の不思議とか、占いとか。そうした「世の中の不思議」について興味を持っていた。(今はその興味は落ち着いている)母自身も少し勘が鋭かったし、背筋が凍るような体験も何度かしている。母の母(わたしから見ると祖母に当たる)にいたっては霊感もあったらしい。

そんな母が、テレビで話題にのぼっていた「東海道四谷怪談」について、言ったことが、冒頭の話だ。歌舞伎で上演する際には、演じる役者一同で、お岩さんのお墓参りに行く。そうして、お岩さんのお墓に向かって歌舞伎で上演することをお伝えするのだ。

小学生くらいだったわたしは、その話を聞いて心底震えた。四谷怪談のお岩さんといえば、とにかく怖い怪談話だ。怖いとはいえ、作り物の話だとばかり思っていた。しかし、「お岩さんのお墓参りに行く」というのはどういうことだろう? もしかして、実在した人物で、本当に呪いや祟りがあるのだろうか……? お墓参りをしないで歌舞伎で演じたら、どうなるんだろう。もしかして、呪われて、殺されてしまうのだろうか……?

心底ゾッとして、「そんな怖い話、聞きたくなかった!」と、母を責めた。夜になってふと思い出しては、怖い怖いとぶるぶる震えながら布団をがばっと頭の上まで被ったことを覚えている。

しかし、子供のころの恐怖心として強く心に残っているせいだろうか。わたしは「東海道四谷怪談」の歌舞伎が上演されることがあるなら、一度見てみないなと思うようになってた。

ちょうど昨年、ほぼ日での「歌舞伎ゼミ」に参加する機会があった。ほぼ日の「歌舞伎ゼミ」に通うまでは、歌舞伎は「敷居の高い、お金持ちの人たちのたしなみ」といった印象があって、どこか遠い存在の文化だった。

けれども、ミュージカルや演劇といった観劇のひとつとして歌舞伎は存在している。日本文化の伝統と継承とか、いろいろ難しいところもある。けれど、そういったことを一旦気にしないで、まずは歌舞伎を楽しんで見にいてみようじゃないかという気持ちになった。もっといろいろ見て、歌舞伎そのものに触れてから勉強をして、文化的な背景にまでぐいっと目を向けてもいいのだと。

そうして、頻繁に、とはいえないけれど「今度の演目は何かな?」と、上演スケジュールを調べたり、「歌舞伎十八番」と呼ばれる演目は足を運んでみたいなあと思うようにもなった。まだそれほど実際に歌舞伎座での歌舞伎見物はできていない。それでも一昨年は一度も足を運んでいないのだから、興味があっても実行に移せずにいたところからは、一歩足を踏み出したと言いたい。

歌舞伎は日本のあちこちで上演されている。関東では歌舞伎座や新橋演舞場、関西では大阪松竹座、そして京都の南座が有名だろう。

京都の南座は、昨年大規模改修工事が終了した。京阪電車の祇園四条駅の改札を出て、階段を上るとすぐにある。改修工事後の南座は、入り口の扉がキンキラキンで、ちょっと近寄りがたい。(南座で歌舞伎を観劇するのが、ええとこの人らのたしなみや、と思っていた)

今年の九月花形歌舞伎、南座で「東海道四谷怪談」が上演されると知ったのは確か八月のお盆の時期だったように思う。

上演スケジュールを見過ごしていたようで、すでにチケットが発売になってから知ったのだ。一度見てみたいと思っていた「東海道四谷怪談」。見に行きたいけれど、チケットはsold outになっているだろうな……。そう思ってチケット販売サイトを見たら、意外やまだチケットは残っていた。九月に二回ある三連休のどちらかで大阪の実家に帰るつもりだったが、帰ろうと思っていた日に合わせて、チケットはまだ残っていた。

いくつか懸念もあったし、お岩さんに会うのは怖い気持ちもある。いつか見てみたいと思っていた歌舞伎が上演されるのだから、このチャンスを逃すのはもったいない。良い席だったのでわたしにとっては高額だったけれど、チケットを一枚購入した。


生まれて初めて足を踏み入れた南座は、歌舞伎座と比べると思いのほかこじんまりとしていた。ロビーから廊下にかけての空間がせまいのだろう。イヤホンガイドを求めるお客様たちが列をなしていて、その横をくぐり抜けパンフレットを一部購入。

歌舞伎の演目は、どんな内容か全然わかっていなくても、パンフレットに大方のあらすじが書かれている。ネタバレ、とかそういう次元の話でもない。細かな時代背景だとか、そうした内容をわかっていなくても、パンフレットに目を通せばある程度は「この話、一体なんやったん?」ということにはならない。

「東海道四谷怪談」が関西で上演されるのは26年ぶりだという。全然知らなかったけれど、「東海道四谷怪談」は、「仮名手本忠臣蔵」の外伝的なお話として作られたという。しかし、現実の東京の四谷にあった田宮家の娘・お岩の怨念話があり、それらの話が巧妙に混ざり作られたお話だという。

パンフレットでは「四谷怪談」のモデルとなったお岩様のお墓へ中村七之助さんと中村壱太郎さんがお参り行かれたと記載されていた。母から聞いた祟り云々の話ではなく舞台の安全と成功を祈願しての法要をされたという。

中村七之助さんが、今回お岩さんを演じられていて、それはそれは怖かった。四谷怪談のお話は、しっかり知っていたわけじゃない。「なんとなくこんな話」程度にしか知らなかった。お岩さんは夫に毒薬を飲まされて瞼がただれて死んでしまう、そう思っていた。

しかし、そうではなかった。お岩さんは夫にひどい裏切りを受けるけれど、毒薬を飲まされるわけじゃない。でも、夫の裏切り行為は、とにかくひどい。怨みの炎に身を焦がし、夫の民谷伊右衛門を殺してやらねば気が済まないと怨霊になるのも無理はないだろう。

ただ、お岩さんが怨霊になる背景には、一筋縄ではいかない。忠臣蔵の事件があったせいで、一番はじめに拗れてしまった。もつれた糸をどうにかほぐそうとしても、余計にこんがらがってこんがらがって、もう、その糸を切ってしまうしか、後には残されていないような状況だった。

見ている途中で、何度か鳥肌が立った。とにかく怖かった。怖さに怖さを重ねてくる演出。客席からは悲鳴があがる展開もあった。

ただ、お岩さんを演じられた七之助さんがとにかく儚くて目を奪われた。怨霊になって、血みどろで、まぶたがただれてしまっていても、綺麗だった。掠れた声で、呪いの言葉を口にしているのに、聞き惚れてしまう。目も耳も逸らせなかった。

「東海道四谷怪談」が怪談話の傑作だとして、長年続けられているのは、お岩さんに魅了される人たちが大勢いるからに違いないだろう。


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