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あこがれていた暮らし。

「この本に出てくる植物と、いつか一緒に暮らしてみたいなあ」と、ぼんやり考えいたことがある。

それは、吉本ばななさんの「王国」という本に出てきた、雫石、という多肉植物だった。

雫石という名前の主人公が、同じ名前を持つ植物と暮らしながら、うまくいかない恋や、不思議だけれど芯の通った人たちと関わりをもち成長していくストーリーだ。全四巻に分かれていて、それぞれが独立したおとぎ話のようだけれど、全編を通して読むと、すうっと心にしみわたる清らかな液体のように感じられる。

私がこのお話を繰り返し読んでいたときは、本当に干からびていた。いつ、クッタリと萎れてもおかしくなかったと思う。自分のいのちすら、管理できそうもない人間に、植物と一緒に暮らすことなんてムリに決まっている。
単純に、そう思っていた。

雫石、という多肉植物は、私には手に取ることのできないあこがれの植物だった。ぷっくりとまるく、透き通った薄い緑色は、まるで宝石のようにも見えた。インターネットや、図鑑では調べてみたこともあったけれど、なんとなく手の届かない存在のように感じていたのだ。そうして、なんとなく心の片隅に引っかかりはしていたけど、少しずつ忘れてしまっていた。

先日、吉本ばななさんの新しい小説「吹上奇譚」が発売になった。私は、早速手に入れて、少しずつ読み進めている。まだはじめのあたりしか読んではいないのだけれど、急に「王国」というお話を思い出したのだった。ストーリーが似ている、という訳ではないけれど、どことなく醸し出される雰囲気が似ていると思ったのかも知れない。また、「吹上奇譚」は第一話 と記されているので、「王国」のように長く、ゆっくりと寄り添ってくれる物語なのかな? と思ったからだろう。

雫石という植物のことをふと、思い出した。「王国」のお話が頭をよぎったことも原因だけれど、もう一つ理由がある。
夫か、最近「多肉植物がかわいくて仕方がない。いくつか家に招いて育ててみたい」と言っていたのだ。私自身は、過去にサボテンを枯らしてしまったことがあり、あまり植物を育てられる自信がないので、渋っていた。けれど、夫は植物を育てるのが性に合っているらしく、庭にあった枯れそうになっていた植木なんかも手入れをして、蘇らせていた。そういう経緯を見ていたので「気に入ったのがあれば、うちに来てもらってもいいんじゃない?」ということにした。

夫はいろいろとネットやら、雑誌やらをみてどの種類の多肉植物を育てるか、真剣に悩んでいた。そして、「もし、気になる植物があれば教えて。一緒に育ててみよう」と言ってくれた。
私は何の気なしに覗いていたけれど、「雫石」が目にとまり、もうこれ以外には考えられない、というほどだった。
雫石は、ハオルシアという植物で、いまとても人気があるらしい。我が家にすぐには来てもらえないかもしれない。けれど、夫に「雫石を育ててみたい」と伝え、夫も「かわいいね! じゃあ、この子も気にかけておくよ!」と言ってくれた。

小説に描かれている、おとぎ話のようなことは、実際には有り得ない。
そう思うひとはたくさんいると思う。けれど、大した年数を生きていない私ですら「事実は小説より奇なり」と肌で感じた出来事やニュースなんかが山のように存在する。

小説を読んであこがれていたことが、夢ではなくて現実になろうとしている。私があこがれていたことは、大したものじゃない。あこがれる必要すらないと、笑われるかもしれない。けれど、小さな夢だとしても、小説を介して叶うことがあるのだと思うと、小説はただのお話なんかじゃなくて、読む人の人生に直接影響を与えるものなのだと思う。少なくとも、私には。

(「王国」を出版されたときは、よしもとばななさん。よしもと、がひらがなでした)

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