見出し画像

そうだ、歌舞伎座へいこう。

古典と呼ばれる作品や、いわゆる「伝統芸能」と呼ばれるものに興味がわいてきたのは、ここ一、二年のことだ。

いろいろと時代が変わっても、あんまり変わらないものもある。そのひとつが、人間の感情や心の動きじゃないかと思っている。

高校の古典の教科書に載っていた「源氏物語」の六条御息所が生霊になって葵の上を呪い殺す場面を読んだ時、とても驚いたことを覚えている。千年も前に書かれた物語なのに、女の嫉妬がありありと書かれていて、しかも、これが物語だなんて。おもしろすぎるじゃないか。

古典作品は、現代語訳されていないと、なんて書かれているのか正直なところよく分からない。けれど、現代にまで語り継がれている、残っている作品は歴史的なだけじゃなく、作品そのものに魅力があるのだろう。

文章を書いたり、物語を考えるようになって、「古典作品のなかにある人の感情と、今の人のもつ感情に違いがないのではないか?」と思うようになった。悲しみ、喜び、嫉妬、哀れみ、嘆き、愛しさ、うぬぼれ、怖れ……。生きている時代背景は違っていても、こういった感情は、そうそう変わりようがないはずだ。

私はこれまでに、古典作品や文学作品をしっかりと読んでみたことがない。また、伝統芸能に関しても落語は好きだけれど、それ以外は、ほとんど触れたこともなかった。

昔から引き継がれている芸能や作品には、それらがもつ魅力があるに違いない。その魅力や、人が惹き付けられるものはなんだろう? と考えていた。折しも、私の大好きなほぼ日刊イトイ新聞で「ほぼ日の学校 Hayano歌舞伎ゼミ」が開催されるというお知らせを知り、申し込んだ。運良く抽選にあたり、ゼミで学ぶ機会を得ることになった

第一回の講義を受けた後「歌舞伎を見てみないことには、何にもはじまらない」と痛感した。ゼミの内容はすごくおもしろくてものすごく引き込まれた。歌舞伎をまったく知らない状態で聞いても、おもしろい。これは絶対、少しでも知っていたら、もっともっとおもしろくなるに違いない。


よし。歌舞伎見物に行こうじゃないか。

そう決めた私は、早速チケットを予約しようと試みた。

八月に歌舞伎座で開催されるのは「八月納涼歌舞伎」とある。三部制に分かれていて、第一部、第二部、第三部と、それぞれ演目がちがっている。全部見るには、それなりにお金もかかりそうだ。

演目の題名だけでおもしろそうだと思ったのは第二部の「東海道中膝栗毛」。ただ、これはかなり人気があったようで、私がチケットを買おうと決めたときにはすでに売り切れになっていた。

第一部か第三部はまだ座席が残っている。どちらも見てみたいけれど、予算の都合もある。迷ったのち私の初歌舞伎見学は第一部の演目に決定した。

第一部は

「花魁草(おいらんぐさ)」「龍虎(りゅうこ)」「心中月夜星野屋(しんじゅうつきよのほしのや)」この三本立てである。

「心中月夜星野屋」という話の内容を、私はすでに知っていた。落語で聞いたことがあったのだ。

Hayanoゼミの第一講で、「行われている演目の時代背景などを事前に勉強していると、話の流れがまったく分からない、ということはない」といわれていたので、なんとなく初めて見る歌舞伎にちょうど良さそうだと思ったのだ。

いそいそとチケットを予約し、当日を楽しみにしてた。しかし、歌舞伎見物に行くにあたり、私はすこし不安も抱えていた。

どんな服装で行けばいいのだろう……?

あほらしい悩みだと言われそうだけれど、結構切実な悩みだ。私にとって歌舞伎を見に行く人のイメージは「着物やらワンピースなどを着て、小ギレイにしていないとバカにされる」というものがあった。誰にバカにされるのかは分からないのだけれど、「いやっ、あの人、あんなおかしな格好で歌舞伎蓙に来てはるなんて、はずかしわあ」みたいな、陰口をひそひそいわれるんじゃないか? という意味不明な恐怖感があった。なんというか、見学そのものの敷居が高かった。

歌舞伎の内容が分からない、というよりも、どちらかと言えば敷居の高さが怖いという方が強かった。

「歌舞伎見物のマナー」のようなサイトをあれこれ見て、「普通の服装でいっていい」ことが分かってホッとした。着飾ってこられる方もいますが、それほど気にしなくてもいいでしょうとあり、ようやく安心した。

当日はサマーカーディガンとデニムとう格好で出かけた。デニムはダメかも? とも思ったけれど、会社の打ち合わせで着ていくような黒っぽいスーツを着るのもかた苦しい感じがしてイヤだった。

歌舞伎座は東銀座駅直結、と書かれていた。朝一番の演目だし、迷わないように東銀座駅で降りた。三番出口の改札を抜けると、もうそこは歌舞伎座の地下二階「木挽町広場」に直結していた。道に迷う心配はまったくなかった。

おみやげやら、お弁当やらがあちらこちらで売られていて、すっごくにぎやかな広場だった。外国の方もいらっしゃったし、ご夫婦でいらっしゃっている方も多いようだった。心配していた服装も、着物をお召しになられている方ももちろんいたけれど、全体としては少数派だった。女性はわりとおしゃれしている印象を受けたけれど、男性の方はポロシャツとか、Tシャツとか、休日のお父さんっぽい服装のかたが多くて、なんだか安心した。ジーンズをはいている人も多かった。

お弁当がたくさん売られているのは知っていた。「幕の内弁当」の由来が、幕間(まくあい)芝居と芝居のあいだにある休憩時間に食べるお弁当として定着したものだと聞いたことがあったからだ。芝居を楽しみ、食事も楽しむ。歌舞伎の楽しみかたのひとつなのだろう。

有名な料亭のお弁当が予約を受けつけていたり、にぎやかだったけれど、お弁当にまでは気を配れなかった。幕間に食事をしたほうがいいのか分からなかったけれど、木挽町広場内にあるセブンイレブンでおにぎりとお茶を購入した。

木挽町広場からはエスカレーターに乗って地上へ上がった。歌舞伎座の地下に位置していたけれど、そこから直接入場できるわけではないらしい。正面入り口へ向かい、チケットを見せて入場した。

座席はどこかときょろきょろしていたら、案内係の人がさっとやってきて「チケットを拝見します」といってくれた。座席が分からず迷う人が多いのかもしれないし、通路で立ち止まっていては通行の邪魔になるからかもしれない。教えてもらった座席に着いてそわそわ、きょろきょろしているあいだにライトが消され、幕が上がった。

「花魁草(おいらんぐさ)」中村獅童が演じる役者志望の幸太郎と中村扇雀演じる女郎のお蝶。想いを寄せているのだけれど、役者の道を邪魔してはいけないと身をひくお蝶……。切なく儚い恋の話。
「龍虎(りゅうこ)」天の王たる龍と地の覇者たる虎が姿を現し、激しく戦う様子を描いた舞踊。龍を松本幸四郎が、虎を松本染五郎が演じる。
「心中月夜星野屋(しんじゅうつきよのほしのや)」元芸者のおたか(中村七之助)は事業で失敗した青物問屋・星野屋照蔵(市川中車)に別れ話を切り出される。話のはずみで「心中しよう」とふたりは約束するものの、命が惜しいおたか。おたかの母親(中村獅童)に入れ知恵され、照蔵ひとりだけ川に飛び込むのだけれど……。男女の駆け引きがめまぐるしく、おもしろおかしく描かれた世話狂言。

三つのお話、どれも魅入ってしまったのですが、「龍虎」がとても美しくて感動。龍と虎が、長い髪のかつらをふりまわしてそれぞれの動きをしたり、足を踏み鳴らしたり。台詞はなにもなく、舞台の上で舞い続けます。十五分くらいの演目でしたが、感動して胸がいっぱいに。美しくて、力強くて、神秘的でした。「なんだか、すっごくよいものを見たなあ」と、ずっと余韻に浸るような印象だ。

花魁草も心中月夜星野屋も、男と女の恋や愛をめぐる駆け引きの話。愛しい人のために身をひいたり、気持ちを試してみたり……。江戸時代だろうと、平成だろうと、恋心なんて対して大きく変わるもんじゃないだろう。この二つのお話しは、歌舞伎らしいかといえば、そうとは言えなかったかもしれない。どちらかと言えば、現代風だし、とても分かりやすい。もしかしたら歌舞伎通の方にしてみれば、物足りなさがあったかもしれない。

第三部に上演された「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」は鶴屋南北によって東海道四谷怪談の続編として書かれた話だそうだ。たぶん、こちらの方が「歌舞伎らしい」内容だったように思う。

けれど、歌舞伎座の雰囲気自体にすこし物怖じしていた私にとっては、分かりやすい演目は有り難かった。ある程度分かりやすい二つの話と、役者の力強さを感じさせる舞を見られたことで「歌舞伎って難しく考えるものじゃない」と気付かせてくれた。

なんだか敷居が高そうだ、と思い込んでいたけれど、もう少し気楽に歌舞伎座へ足を運ぼうと決めた。長く演じ続けられている話の魅力を、肌で感じてみよう。

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,729件

最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。