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それはまるで煮物のように。

がむしゃらに学び続けることも大切だけれど、学んだことを自分自身に染み込ませる時間もたいせつですよね。

夫の実家は自家農園をしているので、野菜をおすそ分けしてもらえました。例年より野菜の出来が悪いと言っていましたが、老夫婦だけでは食べ切れないからと、大根やら白菜をいただきました。冬野菜が高値なので本当にありがたいことです。

平日は仕事で帰宅時間が遅くなることも多いため、日曜の夜に常備菜を作っておきます。(いつも、というわけではありません。気が向いたらです)

たくさんいただいた大根を、煮物にしておこう。大ぶりに切った大根を煮汁の中に入れて、弱火でじっくりと煮含めていきます。

煮物って、鍋に火を入れてぐつぐつ煮ているときよりも、一旦火を止めて煮汁が冷めていくときに味が染み込むんです。

火にかけてぐつぐつ・ぐらぐらと煮ているばかりが料理ではなくて、火を止めて冷ましたり、保温自体も調理法のひとつ、と考えられています。火にかけることと、火を止めて時間を置くこと。この考え方って、料理以外でも当てはまるんじゃないかと思うんです。

例えば必死になって勉強して、一夜漬けで迎えたテスト。

数時間前まで、教科書や模範解答とにらめっこしているので、一応頭の中にあれやこれや押し込んでいる状態。そのため、テストにその詰め込んできた内容が出題されると、答案用紙を埋めることはできると思うんです。でも、その出題された問題と解答への導きかたを覚えているか? といわれると、覚えていないんですよね。テストが終わってしまうと、すっかり忘れてしまいます。これって、知識が体に染み込んでいないから、ですよね。

がむしゃらに詰め込んでみても、結局自分のモノにならない。その場しのぎでいいなら、まあ、それもアリなのかなと思います。でもせっかく興味をもって学ぶことならば身につけたいです。知識を自分自身に沁み込ませたい。

大人になってから学ぶことって、一夜漬けではどうにもならないことが多いです。分からなければ調べながら進めていくこともできます。けれども「なにが分からないかが、分からない」ことも多いです。やっぱり自分自身の中に基礎的なことだけでも知識を浸透させておいたほうが、分からないことへの対処も早くなるんじゃないかと思います。

学んだことを浸透させる。これって結構時間がかかるかもしれません。ですが、自分のなかで「あ、これって、こういうことか! わかった!」と思うポイントがどこかで出てきますよね。自分のモノになったと感じるポイント。

私自身「文章の書き方を学んでみよう」と、2016年の秋ごろから一年間くらい、とある講座を受けていました。そこでは毎週課題がありました。教わったノウハウを用いて文章を書いて提出する、というもの。毎週訪れる締め切りに、私はとにかく無我夢中で課題をこなしていました。ノウハウが身についているか分からないけれど、とにかく提出しなきゃ、と。

その文章講座は区切りをつけて、今はもう受講していません。ですが、文章を書く時、その講座で学んだことがふっと頭をよぎります。学んだことが自分に染み込んだからこそ、活かせるんだと感じました。

グラグラと熱し続けるだけだと、中まで味がしみこまないことも多いし、焦げ付いちゃってダメになることもあります。

頃合いを見て、一度火を止めてみる。そこでしっかりと染み込ませることが煮物でも、学びでも大切なんですよね。


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