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歌舞伎をもっと、楽しみたい。

先日、ほぼ日で開催されていた「ほぼ日の学校・Hayano歌舞伎ゼミ」の講義がすべて終了しました。

ありがたいことに、わたしは抽選に選ばれて運よくこのゼミを受講することができました。一度だけ体調が悪く、欠席せざるを得なかったのですが、9回の開催のうち8回は、講師の方のお話や、落語を体験することができたのは、素晴らしい経験になったと思います。

歌舞伎ゼミの内容は、ほぼ日の学校オンラインクラスで順次配信されていくと思うので、気になるかたはオンラインクラスでぜひご覧ください。わたしも欠席してしまった回を観たいので、どこかのタイミングで申し込もうと思っています。

わたしにとっては、歌舞伎はかなり縁遠いものでした。

大阪出身のわたしは「歌舞伎は京都の南座で上演されているもので、資産家の皆様の社交の場としての役割を果たしている場所」という認識でした。

今思えば、ものすごい偏見に満ちていますが、わたしが足を踏み入れるような場所じゃない、近づくことは恐れ多い、という印象だったことは事実です。

ただ、第一回目の講義の際に、早野先生と矢内賢二先生のお話を伺い「とにかく、まずは歌舞伎座に足を運んでみよう」という気持ちになりました。観てみないことには、何も始まらない。足を運んでみて、場違いだと思うなら、またその時はその時だろう、と。

実際に、初めて歌舞伎座に足を運んだ時の感想もnoteに書きました。

この後に、ほぼ日の学校からも、歌舞伎見物に出かけたので、今のところまだ二回ですが、歌舞伎を実際に見たことになります。

前にも何度か書いていますが、わたしが歌舞伎に興味を持ったのは、古典と呼ばれる文学作品をもっと勉強してみたいと思ったからです。もちろん、それは歌舞伎に限ったことではありません。

ずいぶん前のことですが、「真夜中の弥次さん喜多さん」という映画を友人に誘われて観に行ったことがあります。

しりあがり寿さんの漫画を、宮藤官九郎さんによって映画化したもので、2005年に公開された作品です。十返舎一九によって江戸時代に書かれた「東海道中膝栗毛」が題材になっています。

なんというか、ものすごく奇想天外な話で「なぜ友人はこの映画に、わたしを誘ったのだろう?」と不思議に思ったことも覚えています。いや、面白かったんですけども。

この映画の設定で、弥次さんと喜多さんは恋人同士なんです。映画を見たときは「いろいろ奇抜な設定なんだなあ」と思っていました。

ですが、違うんです。

ほぼ日の学校の校長でもある河野通和さんのメルマガ(コラム)を読むとわかりやすいんですけれど、そもそも「東海道中膝栗毛」の設定、弥次さんと喜多さんの関係が生かされたものなんです。

古典作品って、なんだかものすごく、奥深い。現代を生きている、わたしなりに解釈をしたり、現代の設定に置き換えてみたらどんな作品になるんだろうか? と考えるようにもなりました。

もちろん、まだまだ勉強不足なので、すぐに何か作品を書いてみようということでもないのですが。古典のなかに生きている感情だって、昔のことだからと今とは全然違っていて、わからないものだ、ということではないと考えています。

歌舞伎を通じて知った作品を掘り下げて考えてみたり、その作品の魅力は何だろうか、ということもどんどん学んでいきたいです。また、歌舞伎は役者の皆様の魅力も、大きな役割であることが、今回のゼミで学んだことでもあります。

歌舞伎を含めた伝統芸能は、伝統を受け継いでいる人たち、演者や役者の皆様だけのものではなく、観劇しているわたしたちも、伝統を受け継いでいる、伝統を支えているんだと、最後にお話しくださったことが、とても胸に響きました。

毎月、歌舞伎座に足を運ぶのはちょっと難しいですけれど、もっともっと歌舞伎を見物したいし、学びたいし、楽しみたいと思います。

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