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誰だって、きっと一度は孤城を訪れる。

私にとっての孤城は「この小説、そのもの」だったんだなと、ふとした瞬間に気がついた。

2018年の本屋大賞に選ばれた辻村深月さんの「かがみの孤城」を読み終えて、少し経った気がついたその答えは、私の心の中でかちりと音を立ててはまったパズルのピースそのものだった。

八時間もかかる父の手術に立ち合うため、その時間をどんな風にやり過ごすかが問題になった。母と姉と私の三人で立ち合うのだし、順番に外出しても問題ないと説明を受けていた。万が一の時に、家族の判断が必要な場合に誰かひとりでもいいから、待合室にいてください、と。

しかし、そう言われたからと言っても病院の外に出てお買い物をしたりする気なんて到底おきやしない。せいぜい、病院内にあるコンビニか、ドトールコーヒーか、食堂に足を運んで見る程度で充分だった。とはいえ、やっぱり暇だし八時間もぼへーっと座って待っているわけにもいかない。何か本を読んで過ごそうと決めていた。

読もうと思って、はじめに用意していた本は二冊あった。どちらもノウハウ本というか、何度も読み返して、自分自身の身体にその本の内容を染み込ませたいと思っているものだった。しかし、どうしてもそれらの本を「今」読みたい気持ちではなかった。本の内容を自分自身に染み込ませるだけの気持ちの余裕がなかった。不安でがちがちになっている心に、何かを染み込ませられるような柔らかさは残っていない。たとえ手術の待合時間に読んだとしても、たぶん文字をつらつらと追うばかりで内容なんて入ってこないだろう。手術を目前に控えて、ようやくその考えが頭の中に浮かび上がってきた。心の中に染み込ませる読み物ではなく、心ごと読み物の中に入っていってしまえるような物語を読みたい。そう思ったのだ。

駅前にある大きな本屋をぐるぐると何周もまわり、平積みされている話題の本や新刊本、著者ごとに並べられている棚をじっくりと眺めてみつめる。読みたい本はたくさんあるし、どれでもいいと思えた。だけど、八時間という長丁場に対抗できる一冊を選ぶのはなかなか難しい。そうして平積みされているスペースに何度目か足を踏み入れたときに、「かがみの孤城」と目が合った。本屋大賞を受賞して話題になっていたし、ツイッターでも「読んで良かった」というつぶやきをちらほらと見かけていた。分厚めだけれど八時間もあれば読めるだろうか。

そうして、私は「かがみの孤城」を相棒として、八時間を過ごすことに決めた。

「かがみの孤城」は、中学生になったばかりの主人公こころが学校で理不尽ないじめにあい、不登校になっているところから始まる。どこかに逃げてしまいたい。誰かに助けてもらいたい。心の中で喉から血が出るほどに叫び続けたとしても、そんな声は誰の鼓膜を震わせることなんてない。……生きている、現実の世界では。

しかし、物語の中では違う。手を伸ばしたその先には、不思議な世界が待ち受けている。足を踏み入れていいかどうかは分からない。けれど、そのかがみの中に広がる世界に飛び込んでしまわなければ、どうにもやり過ごせない現実には耐えられそうもないのだ。
主人公のこころは、そうして不思議なかがみの世界の中で引き合わされた人々と過ごすようになり、物語は進んでいく。

この物語の主人公のように「どこか別の世界に逃げられたなら、どんなに良いだろ」と、願わずにはいらないことは、生きていると何度も訪れる。中学生に限らず、いくつになってもいじめや嫌がらせだってある。目の前が真っ暗になり、もう一歩も踏み出したくないほどに残酷な出来事は誰にだって起きうることだ。

そんなときに、自分だけの「孤城」を見つけることができたなら。その「孤城」にいるときだけは、少しでも笑うことができるのならば、「孤城」に逃げるという選択肢は全然間違いじゃないのだ。

物語は目を離せないまま進んでいった。手術の待合室で読んでいることすら忘れてしまうほどに面白く、物語の中に私自身も入り込んでいるかのように集中して読んだ。

読み終えて、少し経った頃に「あと少しで手術が終了します。すべて予定通り、問題なく進んでいますよ」と担当の医師に告げられた。物語に没頭しているうちに、父の手術は無事に終了していたのだった。

私にとって、この「かがみの孤城」という小説自体が、私自身の孤城だった。ただ無事を祈ることしかできず不安に潰されてしまいそうな時間に、物語という名前の「孤城」に逃げ込んだのだ。思い返せば、これまでにも何度も何度も「孤城」に逃げていた。けれど、それは悪いことじゃない。

逃げる場所がある。逃げても良い場所だと、分かっている。そんな場所があるなんて、なんて幸せなんだろうか。結局は現実逃避なだけで、なにひとつ解決してないでしょと笑われるかも知れないけれど、笑いたい人には笑わせておけばいい。そんな笑い声すらも聞こえないほどに、遠くへ逃げてしまってもいいのだ。

逃げた場所で、静かに力を貯めればいい。そうして、また顔を上げる力が湧いてくれば立ち上がればいいのだ。「かがみの孤城」を読み終えて、顔を上げたとき、腹の底にはうっすらと勇気のようなものが広がっていた。

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