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カメラのもちぐされをやめたいけれど。

友人のお父さんは、写真撮影を生きがいにしている。撮影のために、遠くまで出かける「撮影旅行」を計画しては、いそいそと出かけているらしい。

わたしの父は超インドア派。新聞に載っているクロスワードとか数字のパズルを、カレンダーや、チラシの裏側の白い面に写し書きをして繰り返し楽しむタイプだ。

そんな父の元で育っているせいか、わたしも超インドア派である。天気のいい日でも、まぶしいからという理由でカーテンをぴったりとしめて、布団にくるまりながら本を読むのが好きだ。その姿をみる夫からは「日陰ちゃん」とか「イン・ドア子」などと呼ばれることもある。ドア子で結構。ドア子最高じゃないか、と呼ばれるたびに首をかしげる。

しかし、わたしも「写真撮影に出かけたほうが良いだろうか……?」と胸によぎることがある。会社の使っていないカメラを渡されているのだ。

もう一年以上前になるけれど、会社の備品として新しい一眼レフカメラとレンズを購入することになった。社長自身、カメラの腕は良いとは言えないし、仕事で使うものはプロカメラマンに依頼している。それでも、ちょっとした資料作成のときには、社長自身が撮影したデータを使うことが多い。

「日常使いなら、iPhoneで充分だと思うけどね。ファインダーをのぞいて構図を決める、っていうのは楽しいし、新しい発想にもつながるよ」

確かに「文章を書くのにカメラを始めたほうがいいよ」と、あるところで聞いたことがある。新しい発見が見つかるらしいのだ。視点とか目線とか光の加減なんかの普段気にかけないところに注意を払うため、新しい発見が多いのだという。

新しい一眼レフを購入すると、古いタイプのは使わないから貸してあげるよと、社長はこともなげにわたしに一眼レフカメラを貸してくれた。使い倒して壊す分には構わないからとまで言ってくれた。

しかし、カメラを借りたのは2017年4月末のことである。それ以来たった一度しかカメラを構えたことがない。
その一度も、仕事で「とりあえず練習がてら撮影して。一枚でも使えそうなのがあればいいから」という全く期待されていないものだった。

なんで一眼レフカメラを持って、撮影に出かけないのか理由は分かっている。

ぶつけて壊すんじゃないかと思うと、怖くて気軽に持ち歩けないのだ。一眼レフカメラは撮影用途に合わせてレンズを交換する。たぶんわたしレベルならばレンズ交換なんてしないで「オート」と呼ばれる自動設定一択での撮影に違いない。レンズは付けっ放しにしておけばいい。それでも、そのレベルが出っ張っている形状を考えると、レンズを首から下げてウロウロしているだけで、どこかにぶつけてしまうんじゃないかと不安になる。

カメラバッグを買って、そのバッグに入れて持ち運べばいいよとアドバイスをしてもらったけれど、バッグの中から取り出す時点で落として壊してしまいそうで怖い。

わたしにとってカメラは精密機器で取り扱いは慎重に。衝撃などは絶対に避けるべきもので、持ち運んだり、ひょいひょいと手軽に取り扱いできないものなのである。

家のなかにいる愛猫に撮影の練習台になってもらえばいいのだろうけれど、彼はカメラをむけるとあからさまに嫌な顔をして、そそくさとその場から立ち去ってしまう。

Twitteでは田中泰延さんが「カメラ楽しいですよ」と言ってくださっているし、非公式noteカメラ部などの活動をみても楽しそうに思う。けれど、まず一眼レフカメラをカメラバックから取り出すだけでも肩がこる私にとって、おもしろいと思えるまでの道のりは長そうだ。

せめて、夫が育てている多肉植物や、私が育てている盆栽を撮影できるようになりたいものだ。

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