わが家に「なつぞら」がやってきた。
本当のところをいうと、「見なくてもいいな」と考えていた。3月末に最終回をむかえた「まんぷく」の余韻が強く残っていたことが大きな理由だ。
また、ひとつの物語を半年かけて見続けるには、おおげさかもしれないけれど、けっこうな覚悟が必要だ。見たり、見なかったりしながら、連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」とは付き合っていくのがいいだろうと考えていた。
わたしは毎朝、八時には家を出ていく。「まんぷく」にかぎらず、朝ドラを見るのは、朝七時半からBSプレミアムで放送されているもの。
しかし、これがけっこう大変だ。朝の15分がいかに貴重かは、言わなくてもわかることだろう。何かをしながらテレビを見る、というのがわたしはうまくできずにいる。ついテレビにじいっと釘付けになってしまう。そうして、いつもバタバタと朝の支度が遅れてしまい、家を出るときには若干イライラしているという悪循環を生み出すことすらあった。
朝ドラを見るのは、精神的にも良くないかもしれないと思い、四月からの「なつぞら」は一旦見るのをやめよう。そう思った。
四月の始まりは慌ただしかった。朝ドラを見るどころの話じゃなくて、七時には家を出て、打ち合わせ場所にむかう日がバタバタと続いた。夜の帰りも遅かったし、「ほぼ日の学校」のイベントに参加した日もあった。家に帰れば、「風呂に入って寝るだけ」の一週間だった。
週末になり、ようやく落ち着いて家の片付けをしているときに、「なつぞら」が録画されていることに気がついた。朝に見過ごしたときに、念のために見るために、ブルーレイディスクに備わった「毎日録画」機能が、「まんぷく」のころと同じ設定のままだったからだ。
うーん、せっかく一週間分、まるまる録画されているんなら、見てみようかなあ……。そんな気持ちになった。
朝ドラの、放送開始一週間目は「子供時代」の話が多い。「なつぞら」も、例に漏れず、子供時代の話だった。だけど、なっちゃんを演じる子どもの役者さんがすごく可愛い。それに、なつをすぐには受け入れられない、柴田家の長女役に「そうだよね、急には受け入れられないよね」とうなずいてしまった。かわいそうだとは思うけど、でも、なんで? わたしのお父さんとお母さんを取られちゃうような気持ちになるし、わたしが意地悪みたいに思われるのも癪にさわる。
設定としては、よくあるでしょ、と言われるかもしれないけれど、じょじょに距離が近くなっていくところ、酪農を営んでいる祖父に受け入れられるところ、牛との距離感などが、すごく良かった。
「見なくてもいいか」と思っていたけれど、それまでに放送された六話を一気に見てしまったら、もう後戻りはできない。やっぱり、今季の朝ドラも見ることにしよう。もっとも、半年きっちりおつきあいするかどうかは、これからだ。毎朝欠かさず、というよりは録画して数日まとめて見ようとも思っている。
めぐる季節よりも早く、わが家に訪れた「なつぞら」は、どんな風に進んでいくのか楽しみだ。
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