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どんな時でも楽しめたらいいのにな

閉ざされた空間や、限られたスペースの中でどんな楽しみができるだろうか?

この数日、父の手術の立ち合いのため病院に通っていた。父が入院している大学病院は、すごく広くて、はじめのうちは迷子になりそうで、周りを見渡す余裕はなかった。

しかし、少しすれば、だいたいの位置関係は分かる。一階にはコンビニと、本を貸し出しているスペースも。長期間入院する患者のために美容院がある。二階には受付があり、ドトールコーヒーも設けられている。十三階には食堂もある。何階かは忘れてしまったけれど、屋上庭園もあるらしい。

しかし、娯楽的な要素はこれですべて。確かに、病院は遊びにいく場所ではない。娯楽は必要ないかもしれない。けれど、お見舞いとはいえ病院にいくだけで息がつまるという人も多いだろう。ましてや、名前を呼ばれるのを長時間待ち続けているのもつらい。

スマホを見て時間をつぶすこともできるだろうけれど、あらゆる年代の人が集う病院では、みんながみんなスマホを持っているわけじゃない。

ただぼんやりと、待合室の椅子に座って、もくもくと雲のように湧き上がる不安の芽をひとつ、またひとつとむしり続けるだけでは、何もしていなくても疲れてしまう。

せまい空間の中で、ただ時間が過ぎるのを待つのは難しい。しかし、この「せまい空間で時間をつぶす」状況は何も病院に限ったことではない。例えば、飛行機のフライト中もそうだし、新幹線の中で過ごす時間もそうだ。さらに言えば毎日の通勤電車ですら、同じことかもしれない。過ごす時間は短いかもしれないけれど、状況としては同じだろう。

飛行機には、ほとんど乗る機会もないし、ましてや乗ったとしてもエコノミークラス。ファーストクラスで受けられるサービスにどんなものがあるのか分からない。けれども、すべての閉ざされた空間で「楽しむ。リラックスして過ごす」という権利をみんなが持っているはずなのだ。

例えば病院で。不安に駆られて待ち続ける五時間と、ネイルを塗りながら過ごす五時間ではずいぶん感覚が違うだろう。映画を見て過ごす五時間。エステを受けて待つ五時間。コーヒーを飲んでひと息つくだけでも、気持ちがリラックスするのなら、お茶席でも設けて季節の和菓子を出したりするのも良いのではないだろうか。常設だと採算が取れないならば、イベントスペースのように毎月催しが変わるのもいいんじゃないだろうか。病院内で行なうのが難しいならば、屋上庭園で行なってもいいだろう。

もちろん、病院では健康状態を見るために爪の検査をおこなうから、ネイルはダメだとか、お茶菓子なんて、食事制限してる人は食べられないでしょとか。ダメだという理由なんて、本当にいくらでも思いつく。けれども、ダメだからと言って、全員で息が詰まるような空間を維持し続ける必要もないのではないかと思う。限られらスペースで、なにかしら工夫をすれば楽しみを追い求めることだって、悪いことではないはずだ。少なくとも、病院通いは嫌だし、気分も滅入るけれど、ネイルしてもらってるときは気分いいのよね、とか、お抹茶なんて久しぶりに飲んだなあ、みたいにいつもと違う「楽しみ」が少しでもあればいいのになと思う。

常設されていた美容院では十五分1500円の首や肩のマッサージをおこなっていた。美容院で行う程度の簡単なマッサージが許されているなら、足つぼマッサージとかもいいんじゃないのだろうか? 座りっぱなしだと足がむくんで仕方なかったのだけれど。

病院に限らずどんな場所でも、自分なりの楽しみや娯楽をみつけることができれば、少しは快適に過ごせるのだろう。楽しんじゃいけない場所なんて、本当はどこにもないのだから。

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