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目の前に現れた扉は「どこでもドア」だった。

10月29日(月)に開催されたほぼ日の学校番外編「たらればさん、SNSと枕草子を語る。」に参加してきました。

お話された内容などは、今後「ほぼ日の学校オンラインクラス」で発表されると思うので、詳しくは記載しませんが、すこしだけ感想を書いておこうと思います。

お話の内容は第一部、第二部に分かれていました。一部はたらればさんによる古典の楽しみ方についてや、SNSでの発信について。また、「枕草子」が作られたのはなぜか、時代背景や主要な人物などをていねいに解説いただきました。

私は事前に紹介されていた山本淳子先生の「枕草子のたくらみ 春はあけぼのに秘められた思い」を半分くらいまで読んで、今回のほぼ日の学校番外編にのぞみました。読み終えられなかったので、内容について行けるかな? と不安でしたが、枕草子の書かれた時代背景などはある程度山本先生の著書で理解できているところもあったので、一部二部共におもしろく拝聴できました。

もちろん、何にもしらないで行っても、「みんなに枕草子を紹介します!」という、たらればさんの枕草子愛、清少納言愛にあふれた説明があったので理解できたと思います。

第二部ではたらればさんが山本淳子先生に清少納言や枕草子について質問をしながら進めていくという形式。たらればさんは「マニアックですが、みなさんついてこられますか?」とはじめのうちは心配されていたのですが、たらればさんご自身の興味や好奇心がぐいぐい顔をだして、「勉強になる!」と山本先生の回答に感動されていらっしゃいました。もちろん、聞いている私たちを置いてけぼりにしておらず、会場のみんなが「そうなんだ! おもしろい!」と感じている空気で満ちていました。

「枕草子」って、古典の勉強全然好きじゃなかった、という人であっても名前くらいは聞いたことがある作品です。人によっては「春はあけぼの」からはじまる文章を暗唱してテストされたり、というのもあったかもしれません。(わたしはありました。今でも何となく暗記しています)

中学校や高校で習う古典作品って、ただ古い言葉を追うばかりで、おもしろみにかけるのが正直なところです。呪文みたいで、下二段活用とか、知らん! となっても仕方ない。でも、その勉強方法ってすごくもったいないなと大人になった今、強く思います。古典と歴史の授業をミックスさせるとか、そういった形式だと理解が深まりそうです。中学ではそんな時間はとれないのでしょうけれど。大学で古典を学ぶと、時代背景なんかも分かってくるでしょうし、おもしろくなりそうです。

「おもしろそう」のその先にある扉を開けると、いろんな世界が広がっています。たらればさんは「好きな作品は、ただ、愛すればいい」とお話されていましたが、本当にそのとおり。どんなものでも「おもしろい」「興味深い」の扉の先には、さらに広い世界がまっているし、新しい扉や、隠し扉みたいなものも待っています。現れた扉は、どこにでも行くことができる「どこでもドア」のように、ぐいぐいと興味の赴くままに進んでいける。もちろん、どこまで進むかは本人次第ですし、扉をあけなくてもいいし、別の部屋にある新しい扉をノックしても構わない。

知れば知るほど面白みが増して、さらに好きになっていく。古典作品に限ったことではなくて、アニメでも映画でも、さまざまなスポーツでも、動物や人間に対してもそうだと思います。好きなものに敬意を表しながら、いろいろな扉を開けていきたいと思います。

さいごに、いただいたおみやげをご紹介します。

枕草子の言葉を添えた「言葉札」のおみやげがありました。これはランダムで、指定された席にもともと置かれていたものです。私のはこちらの札。

びっくりするほど下手な写真ですが。

月夜の情景の言葉札のそばに、反射した光も満ちた月にみえて、をかし。

枕草子、原文と現代語訳を読んでいろいろと学ぼうと思ったひと時でした。


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