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キイロとピンクの処方箋

「あー、真っ赤に腫れてますね」

かかりつけのお医者様に行ったところ、インフルエンザではないものの、ひどい扁桃腺炎だと診断された。まだ熱が上がる可能性があるから、もう少しおとなしく寝ていなさい、と。

目の前では、インフルエンザの特効薬がバシバシ処方されている。むしろいまインフルエンザウイルスに感染するんじゃなかろうかとヒヤヒヤしながら、薬局の待合室で名前が呼ばれるのを待っていた。たっぷりと処方された抗生物質やら解熱鎮痛剤やらを受け取り、帰宅した後またふとんに潜り込んだのだった。

私は体調を崩して寝込んでしまうとき、必ず枕元に本を置いている。すきあらば本を読みたいのだけれど、熱で頭が朦朧としていると、それはなかなか難しい。

本を読む、というよりは、ただ目で文字を追っているだけなのだ。けれども、そうだとしても本がそばにあるだけで少し、心が安まるのだ。

ここ最近、私のこころを落ち着かせてくれる薬として置いている本がある。村上春樹さんの短編集、二冊。
「象の消滅」と「めくらやなぎと眠る女」だ。
この二冊は、海外で発行された村上春樹さんの短編小説集を日本語版として再編集し、発売されたものだ。

村上春樹さんご自身が「めくらやなぎと眠る女」のまえがきで書いていらっしゃるのだけれど、村上さんの物語は「どこか奇妙な」ところがある。

少しぼんやりと、熱に浮かされながら文字を追っていると、その奇妙な世界は、私自身の身の上に生じた物語のように感じられることがある。私のふとんの中にそっと潜り込んで、ぴったりと身体を寄せて眠る猫みたいに。熱に浮かされた私の身体に寄り添って、なぜかは分からないけれど、しっくりくる。欠けていたパズルのピースが、ぱちりとはめ込まれるように。

動物園から象が消滅したり。芝生を刈るアルバイトをしたり。名前を猿に盗まれたり。夜眠れなくて「アンナ・カレーニナ」を貪り読んだり。

熱がでて、視界が歪み、ぼやけているせいだろうか。それとも、もともと働きのわるい頭が、さらにポヤポヤしているせいかもしれない。

けれど、その短編集におさめられている、どこかしらゆがんだ世界がとても身近に感じられて、なんだかとても安心するのだ。心がすうっと落ち着いて、「大丈夫だよ、歪んでいても問題ないよ」とどこからか声が聞こえてくる。その声は子守唄のように私をそっと眠りの世界に導いてくれて、静かに眠れるのだ。

もともと、熱がでていなくても、意味もなく不安になったときに村上春樹さんの短編小説を読みたくなる。無意識のうちに手に取って、お話をしっかり読む、というよりはただ何となく眺めてしまう。フワフワと海を彷徨っていた小舟のような心は、いつのまにか岬を見つけているか、ずっしりと錨をおろしている。不必要に彷徨う必要はないんだと、なぜだかとても安心するのだった。

心や体が弱っているときに、さらに奇妙なお話を読むのはどうかしているかもしれない。もちろん、すべての人におススメはできない。けれど、そばにあるだけで安心する本や、人によっては映画や音楽など。不毛な闇から救い上げてくれると存在は、とてもありがたいものだ。

私にとって処方箋ともいえる、キイロとピンクの二冊の本には、これからも訪れるであろう不安から救ってもらうに違いない。

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