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もぐらたたきのように顔をだす、不安なんて相手にしている場合じゃない

週末に大阪への帰省を予定をしていたけれど、その週の月曜日に大きな地震が起きた。

これは余震で本震はこれからだ、とか一週間の間は地震発生の可能性も高いため気をつけてくださいとあちらこちらでアナウンスされていた。

帰省そのものを取りやめにしようかと、少しばかり悩みもした。けれど、七月には時間の余裕もなく入院が長引く父の様子も心配だったため、やはり帰ることにした。神奈川にいてやきもき悩むくらいなら、もう帰ろう。そう思ったのだ。

震度6弱の揺れを観測した地域にわたしの実家はある。駅前はそれなりにひらけているものの、ロータリーからバスに乗り20分も揺られれば、古くからある家屋も並ぶ住宅街でしかない。

実家は築五十年と中途半端に古びているし、近隣にはもっと歴史を感じさせる家屋が並ぶ。
大丈夫だと言われていたけれど、心配しながら実家へと向かった。

わたしの心配は、ありがたいことにほとんど的外れだった。屋根にビニールシートを被せているお家もぽつりぽつりとはあるけれど、見た目には何も変わりないような風景だった。

実家も多少は物が落ちてきたり、飾っていた置物が倒れてしまったり、もともと少し亀裂の入っていたタイルが、ぽろりと取れた程度だった。

しかし、母と姉は「朝方に余震があって、寝不足やわ」と、ぐちぐち憎まれ口を叩いているものの、その表情にはうっすらとした疲労の色合いと、なみなみに注ぎこまれている不安がにじんでいた。

入院中の父のお見舞いに行く。病気の経過は順調なのだけれど、いくつかの要素が絡み合っていてまだ退院できずにいた。

手術の翌日から、約一カ月ぶりぐらいに顔を合わせた父の姿はギョッとするほど痩せていた。食事があまり食べられないため痩せていくのだという。わたしのいらない下腹の肉を、アンパンマンのようにむしり取って父に分け与えたいけれど、そういうわけにもいかない。

痩せてはいるものの、思いのほか元気そうで安心する。順調にいけば近いうちに退院できるだろうということらしい。アンパンマンのようにはできないけれども、ドラゴンボールの孫悟空のように「オラの元気をわけてあげるよ」と、渡せるかぎりの元気玉を手渡して、病室を後にした。

その日の夜「余震もなく、このまま地震も終息に向かってほしいな」と話し合う。そろそろ寝ようか、という時にカタカタカタカタとガラス戸が揺れはじめた。ぐらりと畳が波打つような感覚がある。姉はこの数日のあいだ何度も同じ動きをしたのだろう、揺れていれなかで避難経路の確保だとして玄関の鍵を開けに行っていた。

地震は震度3だとすぐにテレビで報じられた。「もういい加減にしてほしいなぁ」とため息混じりに画面を見つめる母の丸い背中をそっと撫でた。
寝てるあいだに地震が起きるのが一番怖い、などと言っているうちにまどろみ始め、いつの間にかぐうっと深い眠りについていた。

朝起きて、また一日が始まる。土曜日は朝から雨だったので、点検できなかったけれど、実家の屋根瓦が少しずれてしまっているようだということも分かった。これまで意識していなかったので、地震の影響かは、わからないのだけれど。

もう小さな揺れでは、手を止めているわけにかはいかない。心配なことがらは、ひょこひょこと顔を出しては引っ込める、もぐらたたきのように私たちを翻弄してくる。叩いた、もう安心だと思ってみても、またすぐに顔をだして、こちらのことを笑いながら見ているのだ。

もぐらたたきで遊んでばかりはいられない。なぜなら、その遊びは一生終わることがないからだ。けれどもわたしは、そのもぐらが顔を出す穴をすべて塞ぐこともできずにいる。

もぐらたたきのそばをチラチラ気にしながらも、通り過ぎる。月曜日からは、何ごともなかいふりをして、自分の暮らしに戻ろうと目をつぶるのだ。



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