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ラップフィルム一枚を隔てた世界

これまで一度も体験してみたことがないものって、思いのほかたくさんある。何も「スカイダイビング、やったことない!」と言った大げさなことじゃない。
「少しだけ皿に残った料理にラップをかけたことがない」この程度ですら、だ。

先日、実家に帰ったとき夕食の支度を手伝っていた。その時に姉が「そういえば、お父さんなぁ、ラップ使ったことなかってんで!」と、信じられへんやろ? と言ってきた。

残った料理にラップをかけておいて、と姉が父にお願いしたら「いや、使ったことないからやり方わからへんねんけど。どうやるん?」と言われたらしい。
今時そんなこと有り得るだろうか? と考えてみたけれど、確かに父に「ラップかけておいて」と頼んだ覚えはない。
皿にすでにラップがかかっている状態で、「またラップしといて」と言ったことは何度もある。しかし、箱に入っている状態のラップを渡して「ラップしといて」と頼むような状況を思い出すことが出来なかった。

食品にかけて使うラップフィルムは日本では1960年に発売が開始された。サランラップという名は商標登録されている商品名であり、正しくは「食品用ラップフィルム」というそうだ。

父はラップ発売よりも十五年早い1945年に生まれている。ラップフィルムは発売当初はそれほど普及していない。電子レンジの普及が進むにつれラップフィルムも使われるようになっていった。電子レンジも発売当初は超高級品だった割に使い勝手が良いとも言えない代物だった。普及にも時間がかかり、1980年頃まではネガティブな印象も多くあったらしい。

そう考えると、一般的にラップフィルムを使うようになったのは、私が誕生した1981年前後なのだろうか。私自身の記憶を辿ってみると、おそらく小学生の頃にはラップを使用した記憶がある。

父は仕事人間だったし、家事全般は母がすべて行っていた。父が今までラップをツーッと引っ張りだして、箱に沿ってピッと切る動作をしたことがない、と考えてもおかしくないかもしれない。

ラップを使うことなんて、誰にでもできそうな簡単なことだ。家族が使っている姿は見ていたけれど、父はつい最近までやってみたことがなかった。

姉も驚いたけれども、父が生まれたころにはラップは身近にない品物だった。だれからも「ラップかけといて」と頼まれなければ、使わないのも無理はないかもしれないと納得したらしい。そうして父は生まれてはじめて、ラップを使ったのだという。

私の父が家事を一切やらないかというと、そうでもない。定年退職後には、洗濯物を取り込んだりという簡単な家事を手伝ったりしていた。お茶を入れてくれたり、サヤインゲンの筋を取るのも楽しそうにやっていた。ただ、ラップは使ったことがなかっただけだ。

父がこれまでラップを使ったことがないと聞いて驚いたけれど、実は意外と「やってみたことがない」ものは身近にあふれていると思う。例えば、携帯電話の普及によって公衆電話を使ったことがない、とか。タバコを吸わない人ならばライターで火をつけたことがないだとか。カッターナイフの刃を折ったことがないとか。一人暮らしをするまでは洗濯物を干したことがないとか、カップラーメンを食べたことがない、なんていうこともあり得るだろう。それまで暮らしていた場所にはない風習であれば、さらに知らないことも多いだろう。海外に住めばなおさら知らないことだらけに違いない。私自身で振り返ってみると、自動車の運転を行わないので、ガソリンスタンドでガソリンを入れる、という作業をしたことがない。他にも、いろいろありそうだ。

大げさなことでなく、習慣にないことや、身の回りで行われていないことは「やったことない、体験したことない」ものばかりだろう。時代の移り変わりでやらなくなっていくこともたくさんあるに違いない。何もかも、すべてを知ることはできない。けれど、色々な物事にアンテナをたてて「ちょっとやってみるか」という精神でいたいと思う。



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