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陸王

「他の録画もたまってて、見る時間もないし。消していいよ」

夫に訊ねられたときのこと。投げやりな返事をしてブルーレイの録画を消してしまった、10月の私に言ってやりたい「陸王、ちゃんと一話から見たほうがいいよ?」と。

なぜなら、結局のところ8話目からオンタイムで見ることになり、それでも12月24日に放送された最終回にはきちんと感動したからだ。

三ヶ月も続くドラマの、第一話を見逃してしまうと結構な確率でそのドラマを見ない、という人が多いのではないだろうか。

おもしろそうだなあ、と思っていても、結局一話目が肝心なのだ。二話目から、となると「もう、ちょっと話に置いて行かれてるしねぇ……」という気持ちがモヤモヤとしてしまい、見たい! という欲求はかなりそがれてしまっている。最近は土曜日や日曜日のお昼に「まだ間に合う! 第一話!」みたいな再放送も多い。ダイジェスト版を放送して「これさえ見れば、まだ間に合うよ!」と一度でも、なにかしら引っ掛かりがあれば、必ず続けてみてもらえるはずだ、それほどの吸引力があるドラマなんだ! という意気込みもものすごく分かる。けれど、やっぱり第一話から、しっかりみたいんだよねえ……と、ついつい「また、再放送とかやるし、ネットで配信もされるし。今回はいいや」と諦めてしまうのだった。

「陸王」も、まさに「うーん、今回はいいかな?」と思ってしまった。いや、録画していたのだから、一話から見ればよかったのだけれど、なんだかんだと、録画すら、消してしまった後だった。

しかし、「陸王、おもしろいよ」と、6話目あたりから夫が言い始めた。会社のお昼休みに、ダイジェスト版をみて、いたく感動したらしい。「やっぱり、ものづくり、はいいよなあ」などと、前前職での出来事を思い出しては、一人で頷いたりしている。録画が溜まり始めたときに「これ、容量食ってるから。どうせ見ないでしょ?」などと言っていたじゃないか、とちらりと私は思い返していた。

もともと「陸王」はドラマを見る前からおもしろいだろう、というのはわかっていた。恥ずかしながら、池井戸潤さんの原作も読んでいないのだけれど、あらすじを聞くだけでもおもしろい。経営が傾きはじめた老舗の足袋屋と、ケガをして復活をかけるマラソンランナー。両者の起死回生のために作られる「陸王」というマラソンシューズ。その開発に関わる人々のドラマだ。

日曜日の夜9時に放送されるドラマは、見たあとに「よし! 明日からまた頑張るぞぅ!」と見た人が、前向きな気持ちになるような内容であるという。これは、ほぼ日の連ドラチェックという企画で脚本家の森下佳子さんがお話されていたことだ。
陸王も、まさにその通りのドラマだった。

八話を見たあとの感想は、「私もマラソン走りたいなー! よし、頑張ろう!」
九話を見たあとには「そうだ、そうだ! 諦めないでしつこく粘り強くやるしかないんだ。私も頑張ろう」
簡潔に言うとこんな感じだ。
最終話は「おそらく、こうなるだろうな」と、うっすらでも予想できる人が多い内容だったとは思う。それだとしても「おきまりのパターンだったね」とはならず、「ああ、良かった。いいドラマだったなあ」と思えたのだった。

作り手が丁寧に、お客が求めているものを作りあげる。
それは、ドラマも映画も、小説だってそうだ。
陸王というドラマの中に入り込んで、抜け出せなくなるほどのリアリティがあった。
「この話って、実話なの?」と、夫に質問されたほどだった。モデルとなっている企業はある、とのことだけれどあくまでもそれはモデル。実話そのものではない。

裏道にある小さな町工場のお話らしいよ、とでも言いたくなるようなリアリティ。まるでドキュメンタリー番組でも見ていたかと感じるほどだ。

地に足をつけた、すぐ近くにいても不思議じゃない人々。もちろんドラマだから、演出のようなものはある。けれど、「いいものをつくりたい」という圧倒的な想いが、ドラマの中からも生まれていたし、ドラマの制作サイドからも伝わってきたものが、確かにあった。最終話は放送一時間前に編集作業を完成したのだという。

制作物に対する、こだわりや粘り。徹底的に作りこもうとする姿勢。

人を感動させるためには、しつこくしつこく、「これでいいのか?」と自問自答をくりかえしながら進めていかなきゃいけない。私にはまだまだ、まだまだ足りないものだ。もう、この辺りでいいかと、投げ出しているつもりはない。けれど、書き終えた後になって「あそこ、もっと練ればよかった」と後悔することが多くある。制作に対して、もっともっと、粘り強く接していこうと思う。地に足をつけて、一歩ずつ。

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