「ほぼ日の学校」で歌舞伎を学んできます。

どうしようかなあ……。
スマホの画面には「申し込みはこちら」のボタンが光って見える。

申し込み金額だってまあ安いとは言えないし、倍率だって高いに決まっている。また、運良く当選したとして。七月から来年の二月の終わりまで、月に一度仕事を早退させてもらわなきゃいけない。年間スケジュールが配られている町内会の役員としての予定がすでに入っている日もある。他にも、書き出せばいくつでも「やっぱり、申し込むのはやめておこう」の理由は見つかった。

「でも、歌舞伎って面白いだろうな」という好奇心には「やめておこう」の理由は勝てなかった。そして、申し込みを決意した。

これまでに歌舞伎の観劇をしたことは一度もない。学校の校外学習で伝統芸能に触れるというものがあったけれど、このときは文楽を観に行ったような記憶がある。

歌舞伎に対して抱いているイメージは、「難しくて、なんにも知らずにいくと周りの人にバカにされてしまいそう」というものがある。なんというか、観劇でのさまざまなしきたりがあるのだけど、わたしは知らなくて「いやっ、あの人、あんなことして。恥ずかしいわあ」と、まわりの人達から白い目で見られるんじゃないかという若干の被害妄想が混じっている。また卑屈にも、生活に余裕のある人だけが楽しめる文化のように思っている節もあった。

しかし「Hayano歌舞伎ゼミ」の募集に先駆けて、意見交換としてのコンテンツが発表されていた。

ここで落語家の桂吉坊師匠がお話されている内容にとても興味深いものがあった。それは、「落語の演目でも歌舞伎を演じているけれど、そもそもの歌舞伎を知らないと伝えられるのだろうか? と疑問がある」というようなことだ。

たしかに、わたしは落語を聴くことが時々ある。その中で「芝居物」というか、落語なのに劇の一部を演じなくちゃいけない噺があり、「この話、覚えるの大変やろうな」と、なぜか落語家さんの苦労を思ったほどだ。

ちなみにこのとき聞いたのは桂米團治師匠の「七段目」。歌舞伎にはまった若旦那が所構わず芝居がかった口調になり、周囲を困らせるという話。歌舞伎の内容はまったく知らなかったけれど、面白い、とはっきり言える。

ただ、たしかに落語であったとしても歌舞伎の内容が分かっているかいないかでは、感じかたがまた違ってくるはずだ。落語をより深く知るために歌舞伎を学んでみたい、というすこし遠回りな理由もある。後付けだけど。

今は映画や音楽やゲーム、そしてインターネット。手を伸ばせばすぐに娯楽をつかむことができるし、楽しむこともできる。わざわざ歌舞伎座まで足を運んで観劇しにいくなんて、時間もないし、正直なところちょっと費用だってかかる。いくつかの側面で余裕がない生活を送っているのが実情だ。けれど「一回観てみたいな」という思いが心の底にずっと隠れていたことも嘘じゃない。

何人申し込みをされたのかは分からない。「申し込み受付番号」から推測すると、もしかしたら小さな町の人口ぐらい申し込みされたのかもしれない。けれど、「ほぼ日の学校・Hayano歌舞伎ゼミに当選しました。ご参加ください」というメールを受け取ったとき「やったー!」と思わず声を出して叫んでしまった。

開講までにはまだ一ヶ月あるけれど、なにか予習をしておこうかと、ちょっと悩む。だけど、中途半端な知識を持たないまま、新しく学びたい気持ちもある。新しく学ぶことで、知らずにいたものごとを自分の中に取り入れられるか、少しだけ不安もある。けれど、その不安もふくめて、何はともあれ、とにかく楽しみでしかたない。



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