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この夏の、わたし自身の課題図書について。

もうずいぶんと記憶はあやふやだ。実際に放送されたときに目にしたのか、それとも、その後になってワイドショーなどで報じられた内容を記憶しているだけかもしれない。

ただ姉と、なんか気持ち悪いなぁと言いあっていたことだけは覚えている。

あるアニメの、バタバタしたコメディタッチに描かれていたほんの一瞬、新興宗教の教祖がちらりと写っていたのだ。

報道時には潜在意識にインプットさせるサブリミナル効果だと騒ぎ立てられ、「なんでこんなことするんやろねぇ」と、眉をひそめてテレビを見る母の顔をみて、そんな表情の母をあまりみたことのなかった私は、幼いながらも不安を抱いていた。

その後、「なんでこんなことするんやろうねぇ」という言葉だけでは決して済まされないことまで彼らは実行してしまった。

過去に記録のないほど大雨が降り続き、不安の色が立ち込める朝、速報としてニュースが飛び込んできた。

「オウム真理教、元代表の麻原死刑囚に死刑執行」

通勤途中に飛び込んできたニュースを目にして、私は小さく息を吐いた。
なぜこのタイミングで、とか報道のあり方など様々な議論が飛び交っているけれど、私には難しくて、どれもよくわからない。ネットにながれるニュースのタイトルには「事件の区切、平成のうちに」と書かれたものもあった。

元号が変わる区切で刑を執行して、「終わったこと」にしてしまうことに、私の中では不安がある。「もう一度、あの本を読んでみよう」とちいさく、けれどしっかりと心に決めた。

「アンダーグラウンド」
「約束された場所で underground2」
著者は村上春樹さん。タイトルくらいは耳にしたことがある、という人も多いだろう。

この本は、地下鉄サリン事件の被害者やその関係者、信者へインタビューをおこない、そのやりとりをまとめた本である。

この本を読んだのは、もう十年以上のことだ。当時、私はうつ病を患っていた。仕事も退職して実家で過ごしていた。朝起きても、一時間くらいしたらまた眠くなる。薬の作用もあったのだろうけれど、起きている時間よりも眠っている時間のほうが長かった。家事を手伝うこともなかった。時々イヌの散歩に行ったり、月に何度か、近くに住む友人が「お茶でもしようか」と誘ってくれる以外は、病院へ行くしか用事がなかった。

あまりにもやることがないので、私は枕元にいつも本を置いていた。

集中力は続かないし、すぐに眠ってしまうため、ただ文字を目で追っているだけだとしても、本に触れている時間が好きだった。たぶん、本だけが当時の私にとって唯一社会とつながっているものだったのだろう。

そんなとき、心療内科の帰り道に立ち寄った図書館で「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」の文庫本を借りた。村上春樹さんが書いた本、というだけで、内容については知らずにいた。借りる前にパラパラとめくって見たけれど、「オウム真理教に関するインタビュー」という認識だけ。詳しく読むことはせずに、借りた。

しっかりと分厚く、ぎっしりと文字が詰まっている。ぼんやりとした頭では、書かれている内容を十分理解できずにいた。ただ、実際に被害に遭われた方のインタビューや、地下鉄に勤めていた人の話を読めば読むほど、こわくて仕方なかった。

実際の事件が起きたとき、私は大阪に住んでいたし、東京に住んでいた親戚が被害にあったわけでもない。信じられない、ひどいニュースだとは思っていたけれど、どちらかといえば同じ年の一月に起きた阪神大震災の被害に心が沈んでいた。

遠い世界で起きた事件だと、思い込みたかったのだろう。けれど、「アンダーグラウンド」を読んで、本の中で語られているのは物語でもなんでもなくて、目の前で起きてたことなのだ。ただ文字を目で追っているだけで、内容を十分理解できていないとはいえ、とにかく怖かった。

眠っている時も、どうやら怯えていたらしい。心配した母に「なんかあんた、最近うなされてるで」と言われ、姉にも「こわい本読んでるんやったら、やめときや」と、サラリと諭された。枕元に投げ出された本をちらりと見てみたのだろう。

なぜあれほど怖くなったのか、理由は分かっている。それは、「私は決してオウム真理教の信者の様にはならない」とは言えないと思ったからだ。

何かひとつ、自分の中でバランスが崩れてしまったとしたら。この人だけが、私のことを分かってくれていると信じてしまったら。ある罪を隠すためにさらに罪を重ねてしまったら。

後戻りできない状況なんて、ないでしょう? とはどうしても言えない。後戻りできなくなってしまう状況は、たぶんすぐ隣に座っている。私が運転していた車だったはずなのに。いつの間にか、私は、助手席側に座っていて、ハンドルを握る権利もない。シートベルトすら、ガッチリとしめていて、もう身動きは取れないのだ。

そう考えると、とにかく怖かった。当時の私は病気が原因とはいえ「私は何のために生きているんだろう」とか「生きている意味とはなんだろう?」とぼんやりながらに考えていた。そのときに答えは見つからなかったけれど、家族や、友人がそばにいてくれたおかげで、なんとか回復することができた。
しかし、頼る人は周りにいなくて、「答えのない問い」を抱えて生きている人に「あなたの人生は、ここにくれば輝くよ」と耳元で何度も囁かれたときに、ふらりと傾かないと、絶対にいえるだろうか。

私は、もしかしたら、傾くかもしれない。
そう思うと、怖かった。

そうして、読み終えられないまま本の返却期限がやってきた。どちらの本も、半分も読めないくらいで返却してしまった。


平成最後の夏に、教団の元代表や、事件を起こした人たちに刑が執行された。
たしかに、ひとつの区切りにはなるかもしれない。

けれども、事件自体のすべてが終わったわけじゃない。今でも苦しんでいる人がいることも事実だ。

この夏の課題図書として、もう一度読み返してみる。どんな気持ちになるかは分からないけれど、今度こそ、目を背けずに。



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