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ながいながい、一日。

「いってらっしゃーい」
軽く手を振りながら、その姿を見送る。緊張を和らげるべくむりやり口元だけでも笑顔をつくる。
いってらっしゃいと、父を見送ったその先は手術室。看護師さんに付き添われた父の姿は自動扉の向こう側に吸い込まれていった。

父の手術は八時間かかると事前に説明があった。

八時間。
普段なら、仕事やら何やらとあっという間に過ぎていく時間だ。けれども、なかなか時計の針は進まない。薄暗く、閉ざされた空間の中は、人があちこちと動いてはいるものの、しんとした、一定の緊張感が保たれている。
外の気配が感じられなくって、チカチカと光るテレビと、そこから響く賑やかな声が耳障りだった。
待合室には、手術を受けている家族がそれぞれかたまりになって座っていた。

万が一のときのために、誰かしら家族がその部屋にいるように。その部屋から出る場合には、受付にひとこと声をかけていくように。そういった指示があった。もちろん病院内にある食堂へ食事を取りに行ったり、コンビニへ買い物しにいくぐらいの自由はある。けれども、八時間もヒマだから、どこかに出かけているわなんてことはできない。たとえどこかに出かけたとしても、気が気じゃなくて、うっかりと交通事故にでもあってしまいそうな気がした。

私たち家族は、母と、姉と、私の三人でその部屋で過ごした。私と姉は、順番に病院内のコンビニへ出かけたりした。病院の一階にあるコンビニは病院へ診察を受けにきた人やお見舞いにきた人、医学生などで賑やかだ。その人の流れやざわめきにすら、ほっとした。

八時間のあいだ、母はトイレに立つ以外、ただじっとソファに座っていた。あまりにも動かない母を、姉と私は心配に思う。テレビで「みんなの体操」が流れだし、「お母さん、あんまりずうっとおんなじ体勢やと、エコノミークラス症候群になるで!」と言って、ソファに座った姿勢で身体を伸ばしたり、ねじったり、足をぶらぶら動かしたりもする。
父の手術の待ち時間に、母まで何か病気を発症したらしゃれにならない。

姉は、私が前日に読み終えていた小説を読んでいた。「普段本を読まへんから、八時間で読み終わるかなあ?」と心配そうだったけれども、本を読むくらいしかやり過ごしようのない環境だったため、一冊の小説を読み終えていた。

私も、時間をもてあますだろうとして何冊か本を持っていた。けれども、この、えもいわれぬ不安が押し寄せる八時間をやり過ごすには物語の力が必要だった。対談本と、ビジネス書を持っていたけれども、どちらもしっくりこなかった。ただ文字を追っているだけで、何が書かれているかを理解する力までは働かせることができなかった。そうして、少し分厚い、最近話題になったばかりの小説を読むことにした。小説を読み始めると、その物語はすっと心に寄り添ってくれて、押し寄せる不安の波すらも、サーフィンのように、乗りすごすことができた。

手術終了の予定時刻が近づいてきたとき、担当の医師から話があった。予定通り、父の身体にあった腫瘍は取り除くことができた。あとは縫合などの処置をすれば終わると告げられた。

私たち家族は、それまで張り詰めていたものが少し緩んだようになった。いろいろと父自身の身体に問題があり、手術自体がうまくいかない可能性もあると言われていた。それもあって、皆、身体のどこかしらに変な力が入っていたことも事実だった。あと少しで、手術が終了になると告げられ、私たち女さんには、大きく息を吐いた。

手術着の医師に呼ばれて、切り取った部位の説明を受けた。テーブルの上に置かれたものは、模型かと思いきや、切除した父の臓器だった。医師は「写真撮ってもいいですよ」と言ってくれたので、私は何枚かスマホで写真を撮影した。

手術が終わり、父は集中治療室に運ばれていた。手術自体は成功したものの、術後の経過も、目が離せないものらしい。「十五分くらいなら大丈夫ですよ」と看護師さんに案内され、父の様子を見に行った。父はひどく震えていて、身体のあちこちにチューブが繋がれていた。
「さむい」とちいさな声で言っている父の手を、女たち三人はかわるがわる握った。手術の後は、寒く、どうしても身体が震えてしまうものだと看護師さんの説明があったので、「そのうち温くなるからね。また、明日ね」と口々に言い、母と姉と私は父のそばを離れた。

そうして、ひどく長い一日が終わった。
女三人は、それぞれにくたびれて、それぞれに安堵していた。もちろん、まだ気は抜けないのだけれど。それでも、皆、張り詰めていた緊張の糸をそっと緩ませたのだ。

この日のことは、この先、忘れることはないだろう。

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