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憧れの甲子園

「おっ。もう地方大会の日程、載ってるなあ」
父はそう言いながら、おもむろにハサミを取りにいく。

父は野球が好きで、高校野球は地方大会が始まるあたりからそわそわし始める。もっとも、球場に足を運ぶことはなくて、結果を見るだけだ。

「ふぅん。まあ、順当なところが残ってるなあ」と新聞を切り抜いて壁に貼りつけたトーナメント表とにらめっこさはめ勝った高校は赤いペンで塗り進めていた。

父が地方大会から見ている理由はただひとつ。それは、父は「母校が甲子園に行ってほしい」と、本気で考えているからだ。しかし、父が通っていた商業高校(現在はどこかの高校と統合したらしいのだけど)は、ぜーんぜん強豪校じゃない。むしろ、一回戦で敗退することもあるくらいなのだ。ちなみに、私の出身県である大阪は、大阪桐蔭や履正社が有名だ。私が子どものころは高校野球といえばPL学園が出場する、というイメージもあった。

父の母校は勝ち進めたとしても三回戦くらいまでなのだけれど、それでも「いや、今年は良かった」と嬉しそうだった。

しかし、私はそれがうらやましかった。私が通っていた高校には、野球部がなかったからだ。

ラグビー部やら、バスケ、サッカー、バレーボール、ソフト(軟式)テニス。これらの部は活動していたし、ややマイナーかもしれない、ハンドボール部というのもあった。しかし、野球部は、ない。

高校に進学したとき、野球部がないことを知ってちょっとびっくりした。姉が通っていた高校には、野球部はあったのに。野球部はほぼ全ての共学の高校には、当たり前のように存在しているものだと思いこんでいた。

野球部のマネージャーになるのを憧れていた、ということではないのだけれど、ちょっと驚いた。「タッチ」のような、野球を絡めた淡い恋やら、青春やらを過ごすことは我が出身高校ではできないのだ。もちろん、野球部があったとしても、できたかどうかは分からないのだけれど。

春のセンバツと夏の高校野球は、私が通った高校には無縁のできごとだった。「中学の友達が通ってる高校は、予選が勝ち進んでいて応援にいくわ」などとクラス内で耳にするだけ。我が校は、甲子園の切符を手に入れる列に、そもそも並ぶ権利がなかった。

結婚してから、夫に「高校のとき野球部って強かった?」とたずねてみた。夫は私立の高校を卒業しており、それなりにスポーツに力を入れていることで有名だからだ。

すると「甲子園に出場したから、夜行のマイクロバスで応援に行ったよ。すぐ負けたけど、みんなで応援に行って楽しかったよ」などと、あっけらかんと言うではないか。

ぐぐうっ。
そういう青春が私はほんのちょっとだけ、うらやましい。



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