あやかしは、するりと心のすきまに入り込む。
おちかちゃん、大きくなったねえ。色々あったけど、よくぞここまで強くなったよ。まるで昔から知っている友人を思うような気持ちが、読み終えた時に込み上げてきた。
宮部みゆきさんの「あやかし草子 三島屋変調百物語 伍之続」
三島屋変調百物語はシリーズ化されている。「おそろし」「あんじゅう」「泣き童子」「三鬼」そして、「あやかし草子」。
江戸の町にある人気の袋物屋「三島屋」でおこなわれる百物語をめぐるお話だ。
「百物語」といえば大勢の人集まり、それぞれが怪談話や奇妙な体験をはなす。そして、話終えるたびに、ふうっとろうそくを吹き消していき、百の話が終わったときに何かがおこる、というようなイメージがある。
けれども、この作品のなかで百物語は少しだけ趣が違っている。
「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」というルールがある。奇妙な体験を話す人はひとりだけ。そして、その話を聞くのは三島屋のおちか、という娘だ。話した内容は外に漏れることはなく、おちかの胸にそっと納められる。
「あやかし草子」も含めシリーズを通すともう27話もの、ひやりと背筋を凍らせるような話が綴られている。
今回読んだ「あやかし草子」のなかで、なんとも苦しい気持ちになったのは「開けずの間」という話である。
神様、どうかわたしの願いを叶えてください……。誰もが一度は考えたことがあるだろう。何もかもが、上手くいかない。なんでわたしばっかり、上手くいかないの? わたしはなんで、こんなにつらい思いばっかりしているんだろう? 神様がいるのなら、わたしの願いを叶えてくれてもいいのに……。
そんな時「いいよ、叶えてあげるよ。あんたばっかり、かわいそうだねえ」とすうっと近づいてくるものがいる。
心が弱って、しぼんでしまっているときに、すうっと隙間にしのび込んでくる。わたしは、あんたの願いを叶えてあげられるよ、と。弱っている心には、近づいてくるものの正体を判断できない。むしろ「ああ、ようやくわたしの願いを叶えてくれるんだ。ありがたい」と、歓迎して受け入れてしまうだろう。その正体が、自身を食いつくし、死に至らしめるものであったとしても。
「開けずの間」にでてくるあやかしは、まさに、人の心につけ込んでくる。ねたみやそねみ、嫉妬や羨望。ふとした瞬間に心にうまれるマイナスの感情をくすぐり続け、そうして願わずにはいられなくなる。「どうか、わたしの願いを叶えてください」と。そして、願ってしまったら、もうあとには戻れない……。
宮部みゆきさんの書く怪談は、単純に怖いだけではない。怪談のかたちをしているし、読むと「ひぃ、怖い!」となるのだけれど、ただそれだけでは終わらない。
恐ろしい物語やあやかしを通して語られる、人間の強さや弱さ。細かく揺れる感情をすくいあげ、また、あぶり出されもする。怪談のかたちではあるけれど、人ならざるものが動き出すことで、人間のもつ感情を浮き彫りにさせているのだろう。
今回の「あやかし草子」で、物語は大きく舵を切ることになった。これまで変わり百物語の聞き手として登場していたおちかちゃんの身におこった出来事も含め、次作はどんな風に話が進んでいくのか、いまはまだ分からない。
物語が百、語られるまでには、まだまだ時間が必要だ。
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