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もう、君には会えないのかな。

Twitterのタイムラインに流れてきたニュースをみて、なんだかすぐには理解できなかった。

表参道の駅近く、6月にオープンしたばかりのヒグチユウコさんのブランドショップ「maison GUSTAVE」が8月25日に閉店する、というお知らせだった。

もしかしたら、もともと期間限定としてのPOPUPストアだったのかもしれない。表に出すことのできない大人の事情もあれこれ絡んでいるのだろう。突然の閉店は残念だけど、しかたない。あれやこれやと文句を言っている人もいるけれど、当事者にしか分かりようのない事情があるのだから、閉店を責めるのはお門違いだろう。

私は「表参道なら、いつでもいけるわ」とたかをくくっていた。ヒグチユウコさんが描く世界が大好きなのに、一度も足を運ばずにいた。夫も一緒に行きたいと言っていたし、なかなか予定も合わないね。夏は暑いし、歩き回るのも疲れちゃうから、もう少し涼しくなったらいこうよなんて悠長なことを言っていた。

私が住んでいるところから、表参道までは2時間近くかかる。そうだとしても、お店としてはじまったものなんだから、いつでも行けるよね。そう思い込んでいた。

しかし、私が勝手につくりあげた思い込みなんて、がしゃんと簡単に消えてしまう。シャッターをがらがらと閉じて、「終わりです」と言われてしまった。急なお知らせは、後二日でお店が無くなってしまうことを告げていた。

「ヒグチユウコさんのお店、もう閉まっちゃうんだって。一緒に行こうって言ってた表参道の」LINEで夫に連絡すると、夫は「そうなんだ、行きたかったね」と返信してきた。夫は魚釣りに出かけていたし、週末も釣りのことで頭が一杯だ。閉店してしまうことは、しかたないんじゃない? そんな感じだった。

だけど、私はどうしても行ってみたかった。遠くに住んでいて、東京は旅行で行く、という場所にいるならあきらめもつく。けれど、何度も訪れるチャンスがあったのに「また今度でいいや」と先延ばしにしていた。

自分の好きなお店、例えば本屋であったり、レストランでもいい。好きな場所はいつまでもずっとあり続けてほしいし、例え、自分の足が遠のいていようとも変わらずに存在し続けてほしい。いつだって、そんな風に考えてしまう。けれど、お店を運営している人からしてみれば、運営していくための問題は限りないほどにある。集客の問題。売上の問題。家賃の問題。求人の問題。大きな問題以外にも、例えば行列店だとすれば近隣住民の苦情だったり、イベントを行うとどうしてもお客様に不便をかけてしまって苦情が出てしまったり。数え上げれば切りがないほどだ。

客の立場からでは、わからない運営の問題が山ほどあって、それをひとつずつクリアしたり、気にならないように工夫していくしかない。そうして、その問題との格闘がどうしても上手くいかなくなってきた時に、「閉店」という決断をする。その決断をするお店の人自身が、一番なやんでいるのは間違いないのだ。

いつまでもそのお店がある、存在すると考えるのはお客サイドの希望でしかない。極端な例をあげるならば、個人で営業していたラーメン屋の店主が、熱中症で倒れて体調を崩してしまったら店を閉めるしかないだろう。


いつまでもあると思い込んでいて、もっとはやく足を運ばなかったことを後悔した。どうしても、最後にお店に行ってみたい。そう思った。

夏の疲れなのか、何なのか分からないけれど中耳炎のような症状があってだらだらと週末を過ごすつもりでいたのだけれど、思いきって出かけることにした。25日に、滑り込みでもいいからmaison GUSTAVEの店舗に足を踏み入れたかった。


バスと電車に揺られながら、表参道へと向かう。東京はまた暑さがぶり返していて、できるかぎり地上を歩かないで済むようなルートを検索し、地下鉄を駆使した。表参道駅、青山通り沿いの出口から地上に上る。そこからは徒歩5分くらいの場所にお店はあった。

大通りから一本中に入った、静かな道沿い。外装からもこだわりが溢れていた。お店に入るため扉をあけるのだけど、その扉にすら、かわいいモンスターがいる。ギュスターブくんというヒグチユウコさんが作り出したいたずらっ子の手が、再現されていた。じっくりとその取手を眺めた後、お店に足を踏み入れた。

店舗の中には数名のお客がいた。床のタイルや壁紙、天井に貼られたクロスにもこだわりがあった。ゆったりとした空間にヒグチユウコさんの描いた絵やモチーフをもとにして作られたアイテムが並べられていた。

ヒグチユウコさんが描く世界観はもともとすこし不思議な印象をうける。誰が見ても明るくハッピー、というわけではない。かわいいものもたくさんあるけれど、ただかわいいと手放しで言える訳でもない。むしろどこか少し怖い感じがする。それらのアイテムが醸し出す印象が、少し寂しく感じられたのかもしれない。けれど、やっぱり「閉店」という言葉が私の頭の中でチラついたせいか寂しい印象が漂っていた。

ハンドタオルと、買おうかと迷っていた陶器の品を購入し店を出ようとした。外に出るときに、扉の取手になっているギュスターブくんの手をそっと撫でた。

最後に君に会えてよかったよ。もう、君に会えることはないのかな? なんだか寂しいけれど、しかたないよね。また、新しい場所で、違ったかたちで会えると良いね。それに、もうヒグチユウコさんの周りでは「ボリス雑貨店」という新しいことがはじまっているんだし。私はそちらも楽しみだし、応援するよ。

そう思いながら、私は店を後にした。

大好きなお店が、いつまでも存在するとは限らない。それは場所に限ったことじゃない。大好きな味も、大好きな場所も、大好きな動物も、大好きな人も。いつまでもそばにいてほしい、あってほしいと思うけれど、そんなことは叶わない。

だからこそ、好きなものは好きと言いたい。行きたい場所にも「いつか行きたいね」なんて悠長なことを言ってる場合じゃない。そもそも自分自身がいつまで存在してるかも分からないのだ。行きたい場所があるなら、食べたいものがあるなら、会いたい人がいるなら。それらを叶えるために、他人の目なんて気にしている場合じゃなく、進んでいくしかないのだろう。



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