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受験参考書「いいくにつくろう鎌倉幕府」

「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」と語呂合わせで覚えた。多くの受験生が似たようなものだったと思う。
鎌倉殿や御家人たち当事者と違って、私にとっての鎌倉幕府は「いいくにつくろう」でしかなかった。
世の中には鎌倉時代を専門に研究している人もいれば、その頃の時代の動きを題材とした小説やドラマや演劇もある。「わざわざそんなことしなくていいじゃないか? 何にしても『1192年鎌倉幕府成立』に集約されるんだから」と受験生としては思っていた。いや、大人になっても。東日本大震災までは。
地震発生から三週間後、東北の太平洋沿岸部を中心に一週間の取材に出た。時折揺れる地面のせいではなく、頭の中が混乱した。あるべきではないところに船や車や家があり、あるべきところにあるべき街並みや橋や道路や人の生活がなかった。瓦礫とトラックと自衛隊。でも、空にはひばりが鳴いている。この状況をどう言葉にすれば震災の“意味”が伝わるのだろうか? 
整理できないほどの混乱状況が目の前と頭の中にある。しかし、これは自然の振る舞いの結果。ということは、「3・11」の前まで私たちは自然の中に生きていることを忘れていたのか? その発想が不自然だったのか? 「どーでもいいこと」を「文明」とか「経済」とか「発展」などと上等でもあるかのように呼んで信じていたのか?
改めて考え直さなければいけないことだらけで、しかし簡単に答えが出そうにもないけれど、大勢の人が亡くなったり暮らしを奪われた出来事をただ「2011東日本大震災」とフレーズ化されてはたまらないと思った。
でも、私たちが「歴史」というのは「授業」のことで、その正しい行いは「覚える」ことだと考えたように、語呂合わせで暗記するだけの人が必ず現れる。それほどの時を要しないかもしれないで。
私にとってはリアルで、人生を振り返らせるほどのインパクトを残した出来事が、別の人にとっては歴史参考書のワンフレーズでしかない、ということは現実としてはある。あるけれど、これだけはそうしてはいけない、と初めて切に感じた。
あの「3・11」のとき、どんな気持ちで津波から逃げたのか、あるいは逃げられなかったのか。どんな決断を無理やり下して暮らしの場を他へ移したのか。当事者は何を言い残したいのか。それも「歴史」であり、その一部は自らも見聞きした。だからなおさら「情報」として扱ってはいけない気がするのだ。
「2011東日本大震災」は「情報化」された言葉だ。覚えやすい。が、無味無臭。何にも触れてはいない。
しかし、「情報」を多角度から検証して立体的に明らかにしていくなかで伝え残すべきと思えるものが抽出されていく。そうして情報は「教育化」される。
教育化された情報は、いわゆる資料となって、新たな発見が加わるたびに上書き更新され、残されていく。私たちは過去の出来事に自分の経験を重ね合わせて学びの材料を更新しているのかもしれない。
さらに情報は、学びのポイントの抽出だけでなく、未来への“語り”に加工されることもある。むしろ800年以上も前の「頼朝」に興味を抱かせるのは、この“語り”がさまざまなかたちで行われてきたからに他ならない。さまざまな頼朝、自分を映し出す頼朝、そんな“語り”に出逢えたとき、なくてはならない頼朝がそこに立ち上がる。これが情報の「物語化」だ。
「〇〇町の〇〇太郎さん、62歳」の話を聞き取るだけでも〇〇太郎さんの「3・11」の物語が生まれ、他の人にも共有される。人には未来があると信じることができるから「物語」は生まれたのではないか。そうでなければ、当事者ではない人たちにわざわざ伝え残す必要もない。
時代は違っても「人間」は同じものを抱えている。悪を内在する一方で、自らを省みない犠牲心も併せ持つ。大事に無関心なくせに些細なことに「こだわって争いの火種になったりする。そうした、同じ人間としての「信」も「物語」の伝承を成立させる。
シェイクスピアの作品はいまだに演じられているし、異国の昔の出来事が今の自分に突き刺さることもある。同じ人間だからだ。
出来事は、瞬間的に終わる。その時のその場には残らない。いち早く簡潔に伝えるための情報化、何かを掴み取るための教育化、そして、その場にいない人にも未来へも伝え続けていく物語化、という3つのプロセスを経て出来事は生き残る。当事者ではなく他人の中に。だからありがたい。
2011年3月11日は、まだまだどう受け止めるべきか同時代の人間にすら分からない。まずは現代を生きる人々の深い熟成時間が必要だ。物語は時がつくる。


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