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ハッピーオーラを纏った友人の結婚式

独身アラサーの私の人生において、欠かせない友人Mが結婚式を挙げた。友達が結婚すると、焦り・不安が募ると周りはよく言う。その気持ちを抱えるのは、なんとなくわかる。「幸せです!」という報告を結婚式という形で表しているのだから、心の柔らかい部分を突かれている気持ちになるのかもしれない。
でも、大切な友人が幸せならそれが自分にとっての幸せにも繋がる、と思うのは偽善チックだろうか。きっと20代前半の私ならそう思っていたかもしれない。そんなこと思いたくてもむずかしいよ!なんて反論をしてたかもしれない。でも今になって気づく、その感情の正体を。


自分の幸せを他人と比較しすぎてしまっているのかもしれない。

結婚式に参列した私は間違いなく思ったのだ。

なぜなのか。
彼女の結婚式があまりにも彼女らしかったからだ。比較する必要もないぐらい「彼女」にしかできない結婚式だった。
今まで色々な結婚に参加してきたけど、当然主役は新郎新婦だった。当たり前だ。結婚式の主役が、当事者たちなのに異論はまったくないしむしろ人生でいちばん輝かしくあるべき瞬間だとも思う。

ただ友人Mの披露宴は「今日来てくださった大切な皆様のおかげで結婚に至りました。余興や手紙はありません、そのかわりひとりひとりとの時間を大切にさせてください」から始まった。

そしてその言葉通り、高砂がなく新郎新婦とゲストはボーダレスのフラットな関係に。余の高さに新郎が「ち、近すぎる」と言葉を溢してタジタジになるほどだ。そして新郎新婦が1席ずつ着席して歓談してくれる。結婚式っていつもの友人が遠い存在のように感じる瞬間があるけど、近い。普段と変わらない距離感。温かいな、と思った。

結婚式のはじめの言葉は新婦から、両親への手紙に新婦だけではなく新郎も読んでいた。新郎は彼女よりも涙を流して言葉を詰まらせながら家族の感謝の気持ちを伝え、その姿を微笑ましそうに新郎の背中をさすっていた。「これが愛の形か・・・」と思うと同時に、挙式で牧師さんが言っていた言葉が反芻される。

愛は驕らず、強請らない

コリントの信徒への手紙

うろ覚えだけど聖句を読み上げた時この夫婦を体現した言葉だなと思ったのだ。彼女たち夫婦は、お互いを等身大のまま受け入れて愛を分け与えてる。これが、人を信じるってことなんだ。と痛感した。

友人が挙げた式場は温かみのある場所だった。自然に囲まれて、華やかというよりは厳かな雰囲気の漂う教会。どこか母校を感じさせられる漂う穏やかなノスタルジックさがある。牧師さんは説教と共に幸せな二人をみて涙を流していた。こんな心の通う式があるんだ、と。

「この式場きて、一目惚れしたんだよね」
そう言った彼女の言葉を理解した。見栄えや華やかさという点では他の式場には劣ってるかもしれない。でも、彼女だから、彼女だからこそ見つけられた場所だった。

彼女のハッピーオーラーの根源は、周囲と比較するコトなく関わってきた人すべてのひとたちに感謝しながら生きているからなんだろうな、と実感した素敵ないちにちでした。


ちなみにわたしは結婚式の予定なぞまったくないので紹介するのもどうかと思うけど、目白にある「メイヤー・ライニンガーチャペル」に招待されました。

式場をさがしたことがないので公式サイトが見つからなかった。。。

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