「ねこぺん日和」はなぜかわいいのか--無表情の豊かさ

好きなLINEスタンプがあります。
クリエイターもじじさんの「ねこぺん日和」というシリーズです。

かわいくて、バリエーション豊富で、使いやすい。
見ているだけでも癒されます。

さて、この「ねこぺん日和」には一つ特徴があります。
それは、基本的に口が描かれないことです。

ふつう、笑顔を表現するときは口角あげた表情を描きます。
怒っていたり憂鬱ならば、への字の口でしょう。

わたしたちはしばしば口で表情を判断します。
昨今のマスク生活で相手の表情が見えなくて怖いと感じたことのある方も少なくないでしょう。

しかし、ねこぺん日和ではほとんど全く口が描かれません。
なのに、こんなにも表情豊かで、かわいいのです。
なぜでしょうか。

ねこぺん日和でバリエーション豊かに描かれるのは、目です。
「目は口ほどにものを言う」とも言いますが、
絶妙に目を描き分けるクリエイターの技術によって、
口がないのにかわいく表情豊かに表現されている、とまずは考えることができそうです。

しかし私は、実は逆のことも起こっているのではないかと思っています。
「口がない’のに’」ではなく、「口がない’からこそ’」かわいいし表情豊かなのではないか、と。

これに関連するのが、人形劇や仮面劇の奥深さです。
多くの場合、人形や仮面は口だけではなく目すらも変化させることができません。
ところが私は、日本の伝統芸能の人形浄瑠璃(文楽)の映像を観て、こんなにも表情豊かなのかと驚いたことがあります。

画像1

(画像出典:関西人形浄瑠璃”人形浄瑠璃街道”

目も口も動かない人形の
角度やしぐさ、光の当たり具合だけで、
あまりにも深い、哀しみや恋慕、怒りを表現しているのです。


すばらしい浄瑠璃の舞台を観た人はしばしば、
「まるで生きてるみたいだった」と言います。

それはむしろ、生きた人間よりも「人間らしく」見える体験です。
ここに、生身の人間が演じれば簡単なことをわざわざ人形を使って行う
人形劇の醍醐味の一つがあるでしょう。


そしてこの「生きていないからこそ、生きて見える」という矛盾じみた現象をもたらしているのが、
想像力です。


ねこぺん日和がかわいいのはなぜでしょうか。
それは、描かれない口元を、私たちが想像するからではないでしょうか。

ねこぺん日和を見た私たちは、
目元やしぐさ
汗マークなどの記号
服装や持ち物
状況やぺんちゃんとねこくんの関係性など

限られた情報から、
これはどんな場面なのか
ぺんちゃんとねこくんは今どんな気持ちなのか
と、想像します。
自分自身の思い出や経験と、照らし合わせながら。

私はこんなときこんな感情だった、
あるいは、こんな感情になるだろう、と
自分の感情を思い起こして想像するのです。

これは他人のものとしての感情表現よりも、
ずっとインパクトのあることです。

だから、人形が人間よりも人間らしいというように、
想像が現実を越えるのです。


わたしたちは、情報が増えれば増えるほど伝わると考えがちです。
しかし、制限がある方が、強く訴えかけることがあります。

その一つが、口を描かない方が表情豊かに見えるという矛盾です。

近づくより離れた方が、人は勝手に想像で補い、
自分ごととしてむしろ最も自分に近いこととして経験する。

これが想像力の力です。

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