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クラウドファンディングについて『お茶うけ心理学的』に考察してみた

友人に、お金を借りたことはありますか??

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ここ数年、毎年のようにクラウドファンディングのお知らせが来ます。応援はしているけど、その内容から毎回のように悩みます。支援するか?しないか?

SNSに一斉公開されたものなら流せるけど、個人的に「お願い!シェアしてくれるだけでも!」なんて来られたら、よけいに悩みます。

悩まないものも、ありました。
その時には、「どのリターンにしようかなぁ」という気持ちでした。

純粋に「これは応援したーい!」と思うものもありました。

支援しようか?しないか?…悩むことの奥に、私は何を感じ取っているのか??

それを考えてみました。

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例えば、生活が苦しいくらいお金に困っていたとします。
そんな時、友人に「お金を貸して!」と頼めますか?

私は…できない。

どんなにお金に困っていて、生活ができるかできないかの瀬戸際でも、友人にお金を借りることは、最終手段も最終手段、もしくは手段の一つに入れない、かなぁ。

友人にお金を借りることは、ためらう人がほとんどではないかな?と思います。
すぐに返せるくらい、1000円2000円くらいなら、借りちゃいます!って人もいるかな。明日返すね〜とか、来週返すね〜なら。
額が10万50万100万となると、ためらいませんか?

いずれにしても、友人にお金を借りるということは、そう気安くはできない感覚があります。

なのに、クラウドファウンディングとなると積極的すぎやしませんか、と思うのです。

クラウドファンディングは、お金を借りるのではなく、お金を出して「貰う」のにも関わらず、お願いします!と大きな声で言えてしまう。内容によりますが…。

他人にお金を借りる時は、信用を失うかも知れないという、ある意味正しい気持ちが働くのに、クラウドファウンディングとなると、信用を失うかも知れない可能性すら考えてないのではないか?そんな風に感じることも、ある。

支援をお願いする時には、個人的にメッセージが送られてきて、「お願いします!」と必死。
なのに、支援した後は個人的にはお礼のメッセージはない、ということがありました。
特にリターンを選ばず支援金だけでしたが、さすがに、なんだかなぁ…という気持ちになりました。

また、別のあるクラウドファンディングで感じたのは、
「その金額くらいは自分で稼げるでしょ、稼げばいいでしょ…」
という呆れた気持ちになりました。
頑張っていることなので言えませんが…
だから悩みます。

たくさんの人たちが、自分の生活や家族のために、自分の夢ややりたいことのためにお金を稼いでいます。
クラファン自体というよりも、その時間と労力の結晶としてのお金を「ちょーだい!」と簡単に言えることに疑問を感じてしまうことがあるのです。

自分がやりたいことのために、お金を集めたいのであれば、その姿勢も大切ではないかと思うのですが、贅沢しているとは言わないまでも、
「人からお金もらう前にやることあるでしょ!?」
と言いたくなることがあるのです。

簡単にできるからこそ、何かをやるときには、しっかり考えることが必要なんじゃないかな?と思うのです。

一方、「どのリターンにしようかなぁ」と思いながら見ていたクラファンは、リターンがとても魅力的でした。
このクラファンでしか手に入らないものがたくさんあって、気持ち的にはただお金を「支援する」という感覚はなかったのです。
支援する人、受ける人が『Win Win』なクラファン。

支援する人にとっても価値あるものが手に入るというものです。

損得勘定ではないけど、やはり『お金』のこと。

お金を集める側は、考えなければならないことがたくさんあると思う。

純粋に応援したくなるものも、ありましたね。
そういう時は、迷わず悩まずにすみますが…

支援する、応援する側は、頑張っている人を傷つけたい訳ではないし、応援したい気持ちはあったとしても、『お金』を出さなきゃ応援にならないと思ってほしくない、という気持ちもあるよね。だから私は悩む時がある。

そうは思わないとは思うけど…
お願いされて、それを「しない」選択は、けっこう心に重みを感じるものだ、ということです。

クラファンを考えている人には、
 『応援するなら、金をくれ』
にならないように、しっかり考えてほしいものだな…と、感じるのでした。


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