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エッセイ:君と話すのが怖い

崇拝して止まなかった人を嫌いになりました。大分前からだけど。

昔から人を、好き!とか信じてる!と思ったら、すぐさま「崇拝・信仰」してしまうくせがありました。その人が世界の中心。すべて。この人が正解。
「窓風、頭を良くしてあげよう。」
そう言われているように感じていた。推しとは違う感覚。
生身。リアル。グロテスク。

今まで、3人ぐらい…かな。そうなった人は。
でも結局、目が冷めてしまった。
この人を信じ続けてると苦しいな、なんかおかしいな。って思ってしまったんですね。
一生あの人達の思想に狂わされていたかったわけではない。
むしろ冷めてよかった。でも、冷めないほうが馬鹿なまま、幸せで居られたかもとは思う。

さて。それから数ヶ月数年…
フラッシュバックが起こります。
私はもうその人が嫌いなので、嫌で嫌で、悲しくなってたまらない。
嫌いなやつに、頭を支配される!反芻する!!あああやめてくれ!!あいつになりたくない。あんなやつのコピーになんてなりたくない…
やめてくれ…もういじわるなこと言わないでよ…
なんでこんなことばっかり…

こんな具合に。
神様はきっと笑っているのでしょうね。笑ってくれ。
おまえが運命を決めているなら。
俺は無宗教だけどな!!!!!!!
神様なんていないよって、インターネットエンジェルも言ってたもん。
…好きな子の言葉は、いくらでも思い出したいから。

そして。
あの人の言葉は日々更新されていくので、トラウマが増える可能性はぐんぐん上がる。怖いね。
でも話してるときは楽しいんだよなあ。きっと頭の作りが哲学的で似通っているんだろうね。嫌だね。でもしょうがないか。今までの人生でどれくらいこの人と過ごしたかわからないし。
そんな感じで…
話し終わったあとが地獄です。
「またサンドバッグにされた…」→「なんでこんなことばっかり…」→「明日も最悪な日になるんだろうな…」
となる。救いようがない。
それでまた飽きるまで考えて、寝る。
明日が来ないといいな。

そういえば。
最近どこかで見た、「死ぬんじゃないよ。夢から覚めるだけ。」って言葉が好きです。
たしかに現実は夢みたいな感覚がしてならない。
私は嫌だったこととかトラウマを「悪夢」と呼んでいるし。
そこから転じて、「死ぬんじゃないよ。永遠の夢を見るだけ。」というのも思いつきました。既出かも。
永遠にあまあい夢が見たいね。好きなものしかない世界で。馬鹿になりそう。へへっ。

そろそろ寝なきゃ。
明日も地獄だ。生き地獄、たのしいね?

なんなんだこれ。



…おやすみなさい。