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同じ病で日・米で入院した記録

大腸憩室炎という病で12月24日に入院し元旦に退院しましたが、2004年にニューヨークでも同じ病気で入院し、その時との違いと共に今回の入院の記録を残しておきます。

2004年当時と同じなのは、病院が大学病院だったこと、携帯電話が仕えたこと。違うのは、2004年当時はWifiがなかったこと、です。

(日本)
入院する数日前から右下腹部に鈍痛を感じ12月21日(火)の早朝に目が覚めました。痛みがとれず24日(金)になると歩くと振動で下腹部が痛み、これは盲腸か憩室炎かと思い仕事帰りに自宅近くの胃腸科に行きました。腎臓結石、盲腸、憩室炎のどれかだろうということで尿検査、血液検査、エコー検査を受けました。
炎症の程度を示すCRP値が12と高く、直ぐにCTスキャンの検査をした方いいということで担当医が病院に電話をしてくれました。
19時ということもあり、1つは断られ、担当医の出身の大学病院で受け入れてくれることになり紹介状を書いてもらいタクシーで向かいました。「行けば分かるようにしてある」という言葉が心強かったです。

(アメリカ)
数日前から右下腹部と背中に鈍痛があり、土日は我慢していましたが、週明けに出社して「病院に行く」と言い残して、日系の内科医院に行きました。盲腸かもしれないということで、提携している大学病院のER(救急窓口)に言った方がいい、2,3時間は待つかもしれない、と言われタクシーで大学病院に向かいました。紹介状はなかったです。

(日本)
病院前でタクシーから降りて入口に向かいましたが、時間外ということで自動ドアは開きません。警備員に紹介状を見せてドアを開けてもらい受付のカウンターに行きました。事前に連絡がいっていたので受付の人は紹介状をみつつ初診の手続きをしてくれました。診察室の前の椅子で待つこと20分、20時ぐらいに名前を呼ばれて診察室に入りました。

(アメリカ)
ERの受付で「下腹部が痛い」と伝え、そのまま椅子に座って待っていました。30分ぐらいしてから、「こっちに来い」ということで診察室に入りました。カルテに何かを書いていますが、「検査する」と告げられ外の椅子に座って待っていました。

(日本)
診察室で問診を受け、血液検査・体温を測りました。胃腸科では平熱でしたが37.8度ありました。症状からすると盲腸か、憩室炎の疑いがあるので、CTスキャンの検査をするので、外で待っているようにと告げられ、外の椅子で待つことになりました。

(アメリカ)
別の医者の診察を受けることになりました。車いすに乗るようにと言われ、看護師に押されて別の診察室に入りました。先ほどの医者に話したことと同じこと(いつから痛む、どこが痛む)を説明しました。「日本人か?」「そうだ」「寿司は好きか?」「好きだ」「最近食べたか?」「いや」「ハパタティスかもしれない」「?????」
この時は「ハパタティス」の意味が分かりませんでしたが、生の魚を食べる習慣が日本人にあることから肝炎を疑ったようです。
廊下で車いすに座って待っていると、次の医者が来ます。また同じことを始めから説明します。「アペンディックスかもしれない」と言います。契約書の付属書類のことを「アペンディックス」と言いますが、それが盲腸だとはこの時も分かりませんでした。
「ノーシャはあるか?ダイアリアは?」と聞かれますが、意味が分からないという表情をすると、ゼスチャーで示してくれます。「吐き気」「下痢」のことです。
「CTスキャンをする」と告げられ車いすで待つことになりました。

(日本)
夜勤当番の看護婦が「痛みはどうですか。もう少ししたら3Fで緊急CTスキャンを受けることができますから待っていてください」と説明してくれました。21時頃、看護婦に案内されて歩いて3Fの検査室に入り、CTスキャンを受けました。検査が終わると、直ぐに「憩室炎です。盲腸炎ではないです。レントゲンも撮ってもらいます」と説明を受けました。レントゲン撮影を受けて1Fに戻りました。

(アメリカ)
1時間ぐらい待ったでしょうか、CTスキャンを受けるために車いすを押されて検査室に向かいました。CTスキャンを受けて、また車いすで先ほどの場所に戻りました。

(日本)
診察室に呼ばれ、当直の内科医から説明を受けました。「炎症範囲が広い憩室炎です」。盲腸炎でなくてよかった、抗生物質を貰って帰宅するのかと思っていると、「緊急入院してもらいます。絶食と点滴治療になります。入院は2週間ぐらいかもしれません」と告げられ、えええ入院するの、と。21時半ぐらいのことです。
診察室から出て、携帯で家族に電話し状況を説明し、スーツ姿なので「パジャマ、携帯の充電器、iPadを持ってきて欲しい」とお願いしました。看護婦は、病院内のセブンイレブンでパジャマを売っているし、レンタルもありますよ、と言ってくれましたが、これから家族が届けてくれるので、と説明しました。

(アメリカ)
医者が携帯電話で話しながら近づいてきます。携帯電話を渡され耳を当てると、朝行った日系の内科医の声です。どうやら、英語での説明は無理と思ったようで、日系の内科医に電話して説明したようです。
「腸に憩室という膨らみができて、そこが炎症している。盲腸炎ではない。これから入院することなる。後々の請求が面倒なので最初に保険の手続きをしておいた方いい」と日本語で説明してくれました。「入院?」と英語で医師に聞くと、頷いています。夕方ころです。
これは面倒なことになったと車いすに座って待っていましたが、アメリカは民間医療保険なので自分で立て替えておいてから後日保険を請求することもできますが、日系内科医のアドバイスにしたがい、「すいません」「すいません」とそこらにいる医師か看護師を呼びましたが、みんな忙しくて「ちょと待って」と言って相手にしてくれません。
やっと1人つかまり、保険の手続きをしたい、といって、なんとか病院の事務の人に保険の番号をカルテに登録してもらいました。
その間、やっと電話を出来る余裕が出来たので、携帯電話で会社に電話しました。「どこにいるんだ?」と開口一番聞かれ、事情を説明しました。
「何か持ってきて欲しいものがあるか?」
「机の上にある電子辞書が欲しい」
自宅には「入院することなった。病院服とかあるので持ってきて欲しいものはない」と連絡しました。

(日本)
入院手続きをして、入院の説明を受けて看護婦と一緒に歩いて病室に入り、点滴の準備をしてベッドに横たわりました。絶食と点滴治療が始まりました。

(アメリカ)
車いすに乗ったまま10Fの病棟にある病室に入りました。点滴の準備をして病院の入院服でベッドに寝ていると、会社の同僚が電子辞書と電池を持ってきてくれました。

(日本)
24時間、栄養剤の入った点滴と、1日3回、6時、14時、22時に抗生物質の点滴をします。6時に採血をしました。担当医が来て「CRP値が15と高いので、膿が拡散するか腸が破裂するかもしれないから安静にしているように。正月はお付き合いしてもらうかもしれない」と治療方法を詳しく説明してくれました。看護婦が定期的に痛みの具合を聞き、点滴の状況を確認してくれます。
「眺めがいいですね」という雑談にも付き合ってくれます。夜勤との交替の時には必ずその旨を説明してくれます。点滴をセットする時には、名前と生年月日を告げ、看護婦が内容を読み上げて確認しています。

(アメリカ)
6時に部屋が明るくなり、10人ぐらいの白衣に見られています。大学の先生と研修医のようです。説明を受けても医学用語は分からないので、そのまま点滴治療を受けながら横になっていました。夜勤と交替したのか、毎回来る看護師が違いました。その度にベッドにかかっているカルテを確認して何か記載しています。

(日本)
点滴治療は退院する日まで行いました。固形物の食事は12月30日に昼から始まりました。最初はスープのようなおかゆ。「ずっと絶食だったので、胃が驚くかもしれない。調子が悪かったら直ぐに言うように」と医者に言われていましたが、異に固形物を入れると腸も動きだしました。

(アメリカ)
3日目になると点滴を終えて、飲み薬になりました。固形物の食事が始まりました。食事は、鶏肉、ジンジャエール、ゼリー。絶食後に鶏肉か、と絶句してしまいました。
飲み薬を服薬した直後に看護師が来て、点滴をしようとします。慌てて「点滴は終わった。今、薬を飲んだところだ」と言うと、カルテを見て「うん、お前が正しい」と。

(日本)
点滴をしていても、1Fのセブンイレブンには行けます。水、お茶、飴は摂取してもよかったので、毎日一人で行きました。支払いは交通系カード。病棟にある自動販売機の決済も交通系カードで出来ました。
退屈なので、Amazonで本をポチり、それをKindleにダウンロードして読んでいました。

(アメリカ)
病棟のフロアは歩いてもいいと言われていたので、筋力が衰えないように何度か往復しました。日本のように売店があるかと思い、1Fに降りて売店を探していると、警備員に捕まりました。「勝手に出歩くんじゃない」と言われ、警備員に付き添われて病室の戻りました。

(日本)
退院の日は元旦でしたので、請求書は郵送する、とのこと。担当医は別の病院での当番なので別の医師が退院後のことを説明してくれました。よく引き継ぎができているようで、よく分かる説明でした。その後、タクシーで自宅に戻りました。

(アメリカ)
5日目の朝、おめでとう、今日はディスチャージできる、と言われましたが、多分退院のことだろうと思って辞書で調べました。精算は後で、と言われタクシーで自宅に戻りました。

費用は、日本が保険後10万円強。アメリカは、全額民間の医療保険でカバーしましたが、請求額は2万ドル(220万円)でした。保険の明細を見ると、診察してくれた専門医ごとに請求があります。アメリカは病院といっても専門医の集まりのようです。5日間入院したら、1日あたり40万円強。

今回の入院で、日本の健康保険制度の充実度、医療関係者の丁寧な対応・間違いを起こさない処置・開業医との連携に助けられましたし、Kindle、TVer、NHK+、などなど安静にしていても退屈な時間を少なくすることができました。

ただ、これだけ医療関係者のレベルが高いにも関わらず、医療が逼迫するというのは、何かがおかしいとも思いました。

写真は病室から見た元旦の初日の出です。

食事も貼り付けておきます。

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