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雨の日の誘惑

私には3歳になる娘がいる。彼女は家から3㎞ほどの幼稚園に通っているため、通園は幼稚園バスだ。

私は彼女を毎朝、同じ時間に指定のバス停まで送っていくのだが、その道すがら通り過ぎる顔ぶれはいつも違う。家を出る時間はほんの1、2分か数十秒違うだけなのに、不思議である。

きっとみんなが、それぞれ「あ、腕時計忘れた」とか(最近は「スマホ忘れた」のほうが多いだろうか)、テレビの占いの結果が気になったとか(自分の星座が最下位だとその分、長く足止めされる)、そんなありふれた事情で、少しずつ、家を出る時間がずれていくのかもしれない。

昨日は雨で、傘を持って家を出たが、外に出るとちょうど雨がやんでいて、差さずに持って歩いていくことにした。道の向こうから歩いてくる人(ノーネクタイで、夏仕様のサラリーマンの出で立ち)も、閉じたビニール傘を持っていた。何となく彼の動きに違和感を抱き、彼が通り過ぎていくのを眺めていると、違和感の理由はすぐにわかった。

ビニール傘が高く挙げられて、「おや、差すのかな?」と思うと、すぐに傘を降ろす。また、高く挙げては、降ろす。その繰り返し。とはいえ、乱暴に振り回しているとか、そこまでのレベルではなくて、もう少し大人しめの動きである。だから彼が私と娘のそばを通り過ぎるときも、特に娘に注意を促すことはしなかった。

――そう、きっと、彼は楽しんでいたのである。傘を上へ、下へ、動かすことを。たったそれだけのことを。鼻歌を唄うでもなく、楽しげな表情を浮かべるでもなく、無言で、無表情で、沈黙のひとり遊びを粛々と行っていたのだ。

気づくと娘も、自分のお気に入りの、すみっコぐらしの傘でガードレールをカンカンつついている。やめなさい、と言うと、「なんで?」と娘。ふむ、なんでだろう?

① 公共物であるガードレールが傷つくかもしれないから
② せっかくのお気に入りの傘が傷つくかもしれないから
③ うるさくてご近所に迷惑がかかるから

脳内でずばりの答えが出なかったので、「じゃあ、どうしてカンカンするの?」と聞いてみた。娘の返答はこうだ。「音、きれいでしょ?」――確かに。納得してしまう私であった。

大人も、子どもも、傘という、非日常のおもちゃを手にしたとき、それを使って遊ばないではいられないのかもしれない。それが、雨の日の誘惑。

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