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校則は誰のためか

校則ってなんのためにあるのだろう。
以前中学校に勤めた当初は、よく思った。

髪の毛の色、髪型、制服、靴下、靴の色、カバンの色、傘の色、自転車の形、持ち物の指定…
靴下にワンポイントは良いのか、ラインはいいのかと先生たちが30分も真面目に話し合う様子を見て、そんなに大問題なことなのかとビックリした。

しかし数年も中学校にいると、そういう文化に慣れる自分もいた。
柄の靴下を履いている子に注意をしている自分。
髪を染めてきた子が保健室のシャワーで洗い流すのを見届ける自分。
ルールはルール、守って当然という考えに違和感がなくなっていた。


校則があって得をする人

校則は先生サイドにとって、集団行動に従えない人をすぐに見つけられる利点がある。
一斉に言うことを聞かせるには、無個性の方が楽だ。例外があると子どもたちは納得しないし言うことを聞かないと思っている。

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今思い返しても校則の意義がこんな理由しか思いつかない。他の理由があるのなら真面目に、本当に知りたい。

風紀を乱すから?

確かに目立つ子たちは他校の似たような子と連んで夜間徘徊や非行に繋がる恐れがある。
ただスマホが身近になった今、教員の目に見えるところで何かをしてくれた方が対応の手立てはある。
見えないところで事態が進むと何もできないし気づけない。

他の生徒に威圧感を与えるから?

威圧感と受け止める子もいるが、そうでない子もいる。
少なくとも子どもたちの方がよっぽど柔軟だ。
そもそも見た目だけで判断する方が教育的にどうかと思う。

平成も終わって令和を迎えた今。
多様性を認めていく社会になりつつある今。
そんな今を生き、これからの未来を作る子たちに昭和に作られた校則を守らなければいけない意義を本当に知りたい。(2回目)

学校が変わらなければ、学校が社会から必要とされなくなる時代がいつかくるのではないか。
義務教育学校に通わなくても卒業できるし、進学も就職も不可能ではない時代なのだから。


学校目標との関連性

学校目標を知っている子どもは多くないとは思うが、時間割と一緒に教室の前面に貼ってある。

だいたい「未来を創る」「自主自律」「活力」「自発的」といったようなポジティブな言葉が並ぶ。
校則に疑問を抱かず粛々と従う、いわゆる良い子は本当にその学校目標に迫っているのか。

闇雲に反抗する子も目標に近づいているとはいえないが、当たり前や慣習を見直すことは有効だと思う。
そういった意見が子どもたちから出てきたらすごいことだ。


変化がしんどい理由もわかる

とはいえ、私も学校に勤めているので慣習を変えることに抵抗がないとはいえない。
去年と同じ流れ、というのは正直楽だからだ。
楽をしたいわけではないが、新しいものを創り上げる労力や情熱を注げられないほど、疲弊しているともいえる。
しかし、そんな状況の中でも子どものためになることをしたいと思っている先生とたくさん出会ってきた。

ただ、先生自身が歩んだり、知っている道を示すことが無難だと思っていたりする。
確かにそれもそうなのだが、自分でオリジナルの生き方を考え決められる気概のある子にとっては窮屈だろう。

15年前にはスマホがなかった。
この10年でAIも発達した。
これからの10年、また大きな変化があるだろう。
今までと同じように、皆と同じようにすることが幸せで正しいという時代は終わりつつある。


私ができること

①自分が新しいことに挑戦していく
例えば学校保健委員会のテーマややり方、授業の進め方について、「初めてやるし大変かもしれないけど、やってみたい」ことを大事にしたい。
時代に沿う、子どもの時間に沿う私でありたい。


②子どもの思いを深掘りする
校則を守りたくない子の気持ちを聞きたい。
以前関わった中学生の中には、制服の統一感をプレッシャーに思う子がいたり、不衛生で着たくない子がいたり、制服の素材のゴワゴワ感が苦手な子がいたりした。
1人の子どもの意見を代弁しながら、学校の中に共感してくれる人を増やしたい。

③校則必要派の人たちの考えを聞く(3回目)
私はここに表記したとおり校則不要だと思っているが、それが絶対正しいこととは思っていない。
思い込みや知見の狭さで、自分の考えが浅はかな部分もある。
だからもし、読んでいる人の中で必要だと考えている方がいたら、コメントをいただきたいです。

対立したいわけではないし、正しさを証明したいわけでもない。
子どもたちに何ができるかを考えるきっかけを作りたいだけなのだ。





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