選択に間違いなどない

 現代の小説家でいちばん好きなのは朝井リョウさんです。

 朝井さんといえば、『桐島、部活やめるってよ』『何者』といった映像化された作品が有名でしょう。もちろん、上記二作品も好きですが、ここ最近の作品である『どうしても生きてる』『スター』『正欲』などもどれもおもしろいんです。

 私が朝井リョウさんの中でいちばん好きな作品は『武道館』です。

 登場人物が発するあるせりふが心に残って、離れないのです。
 ストーリーとしてみると、あまり王道的なものではなく、読者によっては尻切れトンボのような印象を受ける物語展開かもしれません。(今回はあくまで印象に残ったせりふの紹介にとどめておき、物語の内容についてはネタバレ防止のためにもあまり多くは語らないでおきます)
 しかし、それでいいのです。朝井リョウさんの作品のすごさは大衆小説でありながら純文学的な要素も兼ね備えているところです。登場人物の心理が深く描かれ、読者の心を掴み、離さない文章表現があったりするのです。そこが私にとっては面白く感じ、それこそが朝井作品の醍醐味だと思うのです。

 さっそく本題です。

 どのことばに印象が残ったのかといいますと、

 正しい選択なんてこの世にない。たぶん、正しかった選択、しか、ないんだよ。
朝井リョウ『武道館』(文藝春秋、2015)
 何かを選んで選んで選び続けて、それを一個ずつ、正しかった選択にしていくしかないんだよ
朝井リョウ『武道館』(文藝春秋、2015)

 これはアイドルメンバーの碧という子のことばです。
 自分の行動をまるで正当化しているかのような自己中心的なことばに読めるかもしれません。
 ですが、なぜか私にはこのことばこそ生き方の極意に思えてならなかったのです。

 私たちは過去にいろんな選択をして、今を生きています。
 その選択をしてよかったと感じたり、あのときこうしておけばと後悔したりすることは多々あることでしょう。当然のことながら過去を変えることはできません。しかし、私たちはことあるごとに過去を振り返り、選択の正否を定めようとします。

 碧に言わせれば、選択の正否を定めるのではなく、選択はすべて「正」だったと判断せよということなのでしょう。

 amazarashiというアーティストの曲の中に「ナモナキヒト」という曲があります。YouTubeで曲を聴くことができます。すごくいい曲なので、ぜひ聴いてほしいのですが、この曲の一部を引用しようと思います。

 誰かが君の事を
 悪く言っていたとしても
 大丈夫 人の生き方は良い悪いではないのだ
 目の前の分かれ道の
 選択に悩みこそすれど
 それを不正解と言ってしまう選択こそ
 最も不正解なのだ

 どうでしょうか?
 さきほどの碧のことばと「ナモナキヒト」の歌詞、重なるところがありますよね。「ナモナキヒト」では、選択を不正解だと言ってしまうこと、それこそが不正解だというのです。

 私たちは今までいろんな選択をしてきました。
 その選択が正しかったか間違っているかなんて正直わかりません。
 私の場合、学生時代、名のある大学に進学したいと思っていたのですが、結果としては、名があるとはいえない大学(こう書くと失礼ですが)に進学しました。しかも、一浪をして、です。はじめ、入学したときはとても後悔しました。編入を考えたこともありました。

 しかし、その大学で学んだことが直接いまの仕事につながっています。
 結果的にその選択で間違いはなかったのです。

 つまり、何がいいたいのかといいますと、「選択に善し悪しなんてなく、のちにその選択を『正しかった選択』にすればいい」ということです。碧のせりふそのままですが、これこそ私が今回の記事で書き残したかったことなのです。

 一番ダメなのは、その選択を「正しくなかった」と悲観することでしょう。amazarashiに言わせれば、それこそ「不正解」なのです。

 人はあらゆる場面で選択を強いられます。
 その数多くの選択で選び取った結果が「今」なのです。
 過去は変えられません。
「今」を享受するしかありません。
 そして、そんな「今」を楽しむためには、過去の選択たちを「正しかった」と認める必要があるでしょう。

 リフレーミングといってもよいかもしれません。

 私はこの思考法のおかげで、今をよりよく生きられている気がします。

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