身体的自傷行為がなくなったはなし。
小さな頃から自分の感情との向き合い方が分からなかった。
小さな頃と言っても一番古い記憶だと小学生3年生くらい(くらいというのはここら辺の記憶が曖昧だから)
確か、どうしようもなくなると叫び声を口の中に閉じ込めて、唸りながら髪の毛を引っ張ったり自分で自分を叩いたり、血が滲むくらい身体中を掻きむしっていた。
中学生の頃はカミソリやハサミで身体を切ってみたり。(でも死ぬのは怖いので致命傷にならないところ)
それは大人になってからも続いて、感情がどうしようもなくなると色んな形で自傷行為をしていた。
当時は自分の感情をコントロール出来ないのが恥ずかしかったし、承認欲求モンスターのようで、クソださいし、いい大人が寝転がりながら手足をジタバタさせているようで、本当に恥ずかしかった。
でもそれをしなくなったことに今日気付いた。
夜に、以前だったらめちゃくちゃに感情が揺さぶられるような出来事があったのだけど、少し涙が流れるくらいで心は穏やかだった。
その時に感じたのは、自分への信頼と安心。
自分の中のそれに気付いたら、今まで恥ずかしくてクソダサくて完全に“悪”だった自傷行為は、自己表現でしかなかったという認識に変わった。
ただ、その表現に悪のジャッジをしていたのは私。
全ては自己表現でしかないから、そこにジャッジを下すのをやめて、快か不快、好みかそうでないかを見てあげたらいいのかと思った(今更)
あと、自傷行為が自己表現である。というのと同時に自分の幼少期や家庭環境を振り返ると、自傷行為自体が自分を守る術の一つだったということ。
それをしないことには生きていけなかったのだと思う。
身体は傷付くし、心もしんどいけど、当時の私にはそれが私自身を守るための行為だっただけ。
だけ。とか言っちゃったけど、
しんどかったーーーーーーーー!!
ほんと、誰かに助けてほしかった。
大丈夫だよって抱きしめてほしかった。
よく耐えた。
よく守ってくれた。
よく生きててくれた。
世間的には、自傷行為をする子に対して
メンヘラだとか、心が病んでるだとか、かまちょだとか、色んなイメージがあると思う。
私は自分にそういうイメージをくっつけていたし、恥ずかしいクソダサいとか思いつつも、心の中で泣き叫ぶ私を見つけてほしくて同級生に傷を見せたりしていた(『こんなところじゃ死なないじゃんw』と言われて妙に納得した記憶がある)
誰かに助けてほしかった私を、いつの間にか私自身が助けていたよう。
心の中の安心を育むことで、自傷行為をする必要が無くなった。
私が誰かにしてほしかった事を、私が私にやってあげた。
自傷行為をするのは気質だと思っていた(どんな気質だ)けど気質ではなかったようです。
いま、頭に浮かぶのは、泣きつかれて母親の腕の中で安心して眠っているような表情の子どもの自分の顔である。
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