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三日坊主日記 vol.229 『生徒と先生と日本の未来と街宣車』

僕の仕事部屋は国道1号線に面している。


大阪市内と京都市内を結ぶ大動脈で、昼夜を問わずトラックや自家用車が行き来している。今日は朝から大音量で音楽を流したり、強い調子で誰かを糾弾しながら走る、例の政治結社の街宣車がいやに多い。


何があるんだろうと検索してみたら、中之島で「みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどい―教育研究全国集会2024」という催しがあるようだ。主催は全日本教職員組合など。だからいわゆる右翼の街宣車が多いのか。


全国から教職員、保護者、教育研究者、市民らが集まり「憲法と子どもの権利条約がいきて輝く教育と社会を確立しよう」というテーマの元、子どもと教育について語り合うらしい。わかったようなわからんテーマだが、一体どんなことを話すんだろう。


僕は、小学校、中学校と学校は大好きだったが、先生が大嫌いだった。当時の僕は、可愛げのない子供だった。屁理屈をこねて先生のいうことを聞かない問題児。それは認める。それはちゃんと認めるが、僕には先生たちのいうことが正しいと思えなかったのだ。だから自分の意見をいった。


当時は高度成長期で、いわゆる使い易い労働者を育てたかったんだろうと思う。上のいうことを素直に聞き、正確に仕事をこなす人が。先生が一番正しくて、偉い。だから素直に従いなさいという教育。穿った見方かもしれないが、僕はそう感じた。そして、その方針に従わなければならないとは思えなかった。


かしこい友人たちはその辺りのことをちゃんとわかっていて、先生のいうことを適当に聞きつつ、後ろを向いて舌を出していた。僕もそうすれば良かったし、そうするべきだったんだけど、できなかった。アホなのだ。


その代償として、先生たちには酷い目に遭わされた。小学校低学年の時は言葉で、高学年から中学生にかけては暴力で。今なら一発でテレビのトップニュースになるようなことをしょっちゅうやられた。よく登校拒否にならなかったと思う。そこだけは自分を褒めてあげたい。


中3の時、他校から転勤してきた若い男の先生が担任になった。この先生は良かった、というか公平な人だった。よいことはよいし、悪いことは悪いという。何より僕の話をちゃんと聞いてくれた。学校という組織に入って、9年目にしてやっとそういう先生に巡り合うことができた。


あれから半世紀近く経つが、いま学校はどうなっているんだろう。先生はどうなっているんだろう。体罰がよいとは言わないが、腫れ物に触るように生徒に接しているのも、やはりよくないだろう。徒競走はちゃんと順位づけをしているのだろうか。騎馬戦や組体操はもうしないのだろうか。


あの頃もどうかと思うが、いまがよいとも思えない。せっかく全国から教職員や保護者や教育研究者が集まっているんだから、身のある話し合いを持って欲しいと思う。どうせなら街宣車の人たちも参加して一緒に話し合ったらどうだろうか。違う意見を持つ人が話すからこそ良い結果につながると思うんだけど。


主義主張はちょっと横に置いといて、正しい方向を探してください。子供たちは日本の未来なんだから。



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