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地テシ:286 大阪の散歩2022! 淀屋橋・肥後橋篇

我々劇団☆新感線は現在「薔薇とサムライ2」東京公演の準備中なのですが、それはそれとして、今春上演された「神州無頼街」のゲキ×シネが発表されましたよ!

まあ、発表されたってだけで、実際の上映は来年1/13からなんですけどね。でも新春早々、福士蒼汰さんと宮野真守さんのイケメン長身バディがスクリーンで帰ってくるんですよ! 映画館で舞台の興奮を思い出しちゃいましょうぜ!
そして大スクリーンで楽しんだら、次はご自宅で楽しんで下さい。Blu-rayは来夏発売の予定ですよ! 夏まで待てねぇぜ!

それから「薔薇サム2」東京公演の追加席も発売されるんですって! これはまたとないチャンス! 詳しくはこちらから!


ええと興奮気味に色々と告知しておりますが、そんなワケでね、「薔薇サム2」東京公演も目前です。目前なんですが、もうちょっと大阪の散歩話をしますよ。
いや、保坂エマさんの探検シリーズがまだ残っておりまして、今度は後編の「エマの今日はこんな感じで… エマの大阪探検! ブラアワネ淀屋橋・肥後橋編」というのが配信されたのですよ! されてしまったのですよ! 意外と早いな。仕事が早い!

ちなみに前半の「船場・心斎橋編」はこちら。

二人して大阪のど真ん中をフラフラ歩いた記録を音声でお送りいたしております。この後編は「大丸 心斎橋店」を出たところから始まります。

「あのでっかい大丸の看板、撮りて〜」のでっかい看板。緑の丸のヤツね
旧屋上の角っこが美しい。そして増築部の幾何学模様と青空と

ただね、店内では録音できませんでしたし、そろそろ時間もなくなってきちゃったし、トイレにも行きたかったし、パルコと繋がっているのに驚いてパルコ側に行っちゃったしで、店内をほとんど散策せずに出ちゃったんですよ。
あれほど行ってみたいと切望していたくせに、内部をちゃんと見てなかったんかい! うん、なんでだか急いで出ちゃったんですよね。まあ、外観を見て安心しちゃったんでしょうね。
ええと、短い滞在時間の感想をまとめると、店内もかなり昔のイメージのママでした。特に一階は昔の部材を再利用している割合が多く、シャンデリアなども以前のものを参考にして新たに作り直したのだそうです。

アールデコ風の端正ながら過剰な装飾

エレベーターもこんな感じ。

改装されても荘重なエレベーターホール

上の階数表示の部分は、おそらく昔は中心に回転する矢印が着いていたのじゃないでしょうか、たぶん。

今度、時間がある時にちゃんと店内を確認して参りたいと思います。もちろん階段部とかもね。あ、ちなみにトイレは完全に近代化されておりました。
館内を見てみたい方のご参考に、大丸公式さんが出している店内動画を貼っておきますね。

その後、大丸の周りを廻りながら設計者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズの話をしておりますね。「青い目の近江商人」とも呼ばれた、ただの設計士ではないエネルギッシュな人生についてはこちらのページをご参照下さい。

「ヴォーリズの足跡と遺した事業」のページを読めば、多彩かつ波乱に富んだ人生を知れますよ。


さて、日も傾いて参りましたので、次のポイントである淀屋橋に向かいましょう。そうしましょう。時間がないのでテレポートで移動しましょう。えいっ! いや、実際は地下鉄ですけれども。
淀屋橋駅周辺といえば大阪を代表するビジネス街です。大企業の本社ビルや大阪市役所、日銀大阪支店などが建ち並ぶ、古くからのオフィス街なのです。
古くからの街ということで、意外と古い建物も多いのです。そのいくつかをこれから巡っていきますよ。

まずは、建物ではありませんが「懐徳堂旧阯碑」という碑と解説板を。大阪メトロ淀屋橋駅の8番出口を出てスグの所です。

壁に埋め込まれたような記念碑

江戸中期の享保11年(1726年)、大阪の有力商人達の出資によって建てられた私塾「懐徳堂」の跡です。主に朱子学を教え、塾生には町人も多く、貴賤の隔てなく学ぶことができたようです。

懐徳堂の近くには「適塾」があるのでそちらを目指していたところ、全くノーマークの木造建築に出会ってしまいました。
それがこちらの「大阪市立愛珠(あいしゅ)幼稚園」

知った風に説明していますが、実は初見です

どう、この堂々とした威風! 現存する幼稚園としては日本で二番目に古いのだそうです。明治34年(1901年)に竣工した三代目園舎は重要文化財。どうなんですかね、重要文化財で幼等教育を受ける気分というのは。いや、幼稚園児には聞けませんが、良い想い出、良い体験になるのではないかと思います。

ちなみに、この愛珠幼稚園が建っている場所は「銅座の跡」でもあります。銅座というのは幕府が管轄した銅の取引所です。

金座、銀座、銅座、の銅座です

で、愛珠幼稚園から北に向かって1ブロックいったところを右に曲がると見えてくるのが「適塾」跡です。

写真を撮るエマさんと共に
緒方洪庵像とかむくり屋根とか洗濯物干し場とか資生堂大阪ビル(左端)とか

幕末頃、蘭学を教えるために緒方洪庵が開いた私塾である「適塾(適々斎塾)」は、大村益次郎や福沢諭吉も学んだことのある私塾でして、吉田松陰の松下村塾と並んで二大私塾とも呼ばれています。
建物自体は江戸後期の商家を改造したモノで、こんな大都会に江戸時代の町屋が現存しているのは大変珍しいのです。もちろん重要文化財です。
時間によっては内部も見学できるようですが、私は未だに中に入ったことがありません。こちらもまたの機会に譲りたいと思います。

そして適塾前にあった周辺案内板。

こういう案内板って読んじゃうよね

除痘館跡、大阪慶應義塾跡、旧鴻池家本宅跡など、気になる案内がたくさんあるんですけれども、これらにもいつか行ければいいな。


さあ、ドンドン日が陰って参りました。先に進みましょう。栴檀木橋(せんだんのきばし)で土佐堀川を渡って中之島に入りましょう。正面に見える洋館は何だ? あ、「大阪市中央公会堂」か。

中央公会堂と鱗雲

こちらが中央公会堂の正面です。岡田信一郎が原案、辰野金吾と片岡安が実施設計を行った、大正7年(1918年)竣工のこちらも重要文化財です。

このまま川沿いを劇場の方に向かいましょう。大阪市役所や日本銀行大阪支店を横目に見ながら淀屋橋を渡り、三井住友信託銀行の裏手に回ると、向かいのビルにひっそりとある「帝国座跡」の案内板。

跡としては何も残っていませんけどね

新派の川上音二郎が明治43年(1910年)に建てた大阪初の純洋式劇場があったのだそうです。
そのまま西に進むと超巨大な格式高い建物が。こちらは「三井住友銀行 大阪本店」です。

イオニア式のエンタシス

あまりにも綺麗なので古っぽく作った最近の建築かと思ったら、大正末から昭和に掛けて建設された古建築なのだそうです。
もちろん何度か改修されて壮麗さを保っているのでしょうが、なんとも重厚な建築です。元はもちろん住友系の住友ビルディング。三井の本拠は東京(江戸)でしたが、住友の本拠は京都・大阪・愛媛といった西日本ですからね。

最後は肥後橋のたもとへ。南詰めの南東角にあるのが「大同生命保険 大阪本社」

下部が細く上部が太いという不思議な建築

江戸時代の両替商「加島屋(かじまや)」があったところで、朝ドラ「あさが来た」でも有名な広岡浅子も加島家に嫁いで大同生命の創業に関わります。

このビルの内部についてはまた今度

大同生命の旧本社ビルもウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計しており、現本社にもそのデザインが継承され、社屋内には旧本社の一部が移設保存されています。ここにもヴォーリズが関わってくるんですね。

そして肥後橋南詰めの南西にあるのが「山内ビル(山内香法律特許事務所)」

どう、このお洒落な佇まい
アーチ窓(楕円と言っちゃってますけど)や飾り窓や上端部のモダンさよ

昭和5年(1930年)の竣工で、登録有形文化財に指定されています。一階がジュエリーショップ、二階がダイニングバー、三階が貸事務所のようです。
川の反対側から裏側を見てもキュート。

川向こうから見た山内ビルも趣深い

ちなみに、その隣のビルのテイラーショップが川側をショーウィンドーとしていてお洒落です。

テイラーさんのショーウインドウも気になるよね

そんなこんなの淀屋橋と肥後橋界隈。ちなみに淀屋橋というのは豪商である淀屋さんが自費で架けた橋だからで、肥後橋というのはたもとに肥後熊本藩の蔵屋敷があったからだそうです。


エマさんの仕事が意外と早かったせいで、いや違うな、意外と早く仕事しやがったので、いや違うな、まあとにかく、「エマの大阪探検!」解説記事を二週続けて書いてしまいました。いや、仕事が早いのは良いことです。
でも、実は他にも一人で大阪を散歩しているんですよ。何しろ休演日もありましたからね。とはいえ、このご時世ですから遠出はしていません。近場ばかりでして、エマさんとの散歩とも被るところもありますが、そちらも近いうちにご報告したいと思います。

まずは「薔薇サム2」東京公演ですよ。まだステージ数は半分以上もありますからね。ますます気をつけて漕いでいきたいと思います。どうぞお楽しみに!


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