ある夏の日、僕らは旅に出た
ある夏の日、僕らは旅に出た。
僕のメイルボックスには日々無数のメイルが届く。それらはいまだにちゃんと読んだことは皆無で、何かの役に立つだろうと以前登録したメイリングリストからのものがほとんどだ。
さもすれば、その中に埋もれてしまいそうだが、あの人からのメイルには自動的にフラグを付けてあるので見落とすことはない。
◯月◯日〇〇時、福岡で待つ。
M.S.
数週間前のあの人からのメイルにそう記してあった。
いつもこんな感じだが、あの人らしいと言えばあの人らしい。
それから何度かやり取りしたが、どうやらあの人が海外へ行くのに同行することになるらしい。
なぜあの人が僕のアドレスを知っているんだろうか?と疑問に思ったこともあったが、数年前にあの人宛に送った本に連絡先を載せていたことを思い出した。
”驚くに値しない”
指定された日時、場所に行くとあの人一人がそこにいた。
これはプライベートな渡航なのか?
「やあ、初めまして!・・・でもないか。君の姿はいつも見かけています。今日はどうもありがとう」
僕らは一通りの手続きを終え飛行機へ乗り込む。
「何しに行くんですか?」
「それは着いてからの楽しみにとっておこう」
聞いてはみたものの、あの人に対してある種の信頼感があるので何も不安はない。
日常の激務の疲れから僕はすぐに眠りに落ちてしまったので、機中会話はほぼないに等しい。
目的地の空港へ到着。十数時間のフライトは意外とあっと言う間だった。寝ていたので当然といえば当然。
ジョン・F・ケネディ空港からの車窓の眺めは、何度もこの地を訪れているあの人に比べ僕には真新しい。
僕らが向かうのはセントラル・パーク・ウエストの安ホテルでもなく、ましてやミッドタウンにあるハイクラスのホテルでもない。ブルックリン・ブリッジにほど近い一見倉庫のような場所。
簡易的なスタジオがそこにあり、寝泊りできるようなスペースもある。今回のために用意したものではなく、定期的に使用されているような空気感が伝わってくる。
よく見てみるとあの人の愛機の一つでもあるギブソン・バードランドがある。この日のために日本から空輸したのだろうか。かつてこの地で手に入れたというあのギター。
了承を得て弾かせてもらうとまるで断末魔の叫びに似たそれが、あの人が抱き抱え撫でるように弾き出すと絶世の歌声をあげるディーヴァのようだ。完敗だ。誰と勝負しようとしているんだ?
ここで新しい創作をはじめようというのか?それにしても、この地に僕が連れてこられた意味が分からない。
2日目の朝。褒められたことではないが普段から不規則な生活をしているためか、僕には時差ボケはなかった。
異国の地。まったくもって右も左も分からない中で外へ出てみる。不思議と迷子になる不安などなく通りを少し散策するとフリーマーケットがあった。
マグロの頭
山積みのマスカット
どうか
まともでいさせてほしい
オレは今、まともか?
どうやら、夢ではないようだ。
ブルックリンか。キャプテン・アメリカの出身地だ。
僕が”アジト”へ戻ると早速あの人はエレクトリックピアノとiMacのキーボードを交互に叩いていた。
あらためて聞いてみた。
「僕は何をすればいいんですかね?」
自身の名を冠したTV Showと印字されたマグカップを手に取りあの人は言った。
「好きにしてて。僕がやっていることをただ見てるだけでもいいし、何かインスピレーションが沸けば参加してくれても構わない。必要があればその時はお願いするよ」
あ、ああ・・・。
日本にいるスタッフと連絡を取りながらあの人は再びPCモニターに向かった。僕はただ途方に暮れた。
僕の記憶の中のあの人はイカシテいる。現在(いま)この時間も。
この夏の奇妙な経験は僕に何をもたらしてくれるのだろう。
文中、夢ではないようだとあるけど、これは2020年8月のある夜見た夢を元に書き起こしたものです。一部脚色しながら。
佐野元春スポークンワーズ作品
『NYC1983〜84』、『ああ、どうしてラブソングは・・・』、『自由は積み重ねられてゆく』より一部引用。
episode 2
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