見出し画像

ありのままの自分を愛する。

「パートナーと釣り合う人間になりたい」

そう思ったことがある方、もしくは思っている方、多いのではないでしょうか?

例に漏れず、そのタイプの人間です。

「釣り合いたい」と言うより、「相手が求める人物像とイコールであろうとする」と言う方が正確でしょうか。

どんな相手であれ、その人が描く『良い子』になろうと、毎度毎度必死に自分を取り繕うのが当たり前で、それが自分の首を絞めていることに気付くことができないのです。

幼少期から、親をはじめとする周りの大人たちの期待に応えることに精を尽くしてきた人間なので、まあ納得は行きますよね。(笑)

パートナーのことをどれだけ好いていても、『素でいることができない』という状態は、自分が思うよりもストレスがかかります。

被った仮面を長いこと綺麗に保つことは容易ではないし、そのうちに耐えきれず素が出ていきます。私はただ単にありのままの自分を見せただけなのに、相手には「ボロが出た」と思われるのです。こうして愛想を尽かされていくのが常でした。

パートナーと上手くやっていこうとする時に、素を出さずに自分自身を偽り、多少の苦しさを我慢することは必要不可欠だと思っていました。

私にべったりとくっついて離れないそんな歪な常識に、唯一メスを入れてくれた人がいます。それが現在のパートナーです。仮面をあてがおうとする手を止めてくれました。

長い間信じてきた常識から脱するのは容易いことではないので、昨日の今日でありのまますべてをさらけ出せるようになるわけではありません。「そのままでいてくれればいい」と何度でも伝えてくれる彼相手でさえ、まだ躊躇してしまうぐらいです。

相手を信じていても、時間はかかると思います。頭では分かっていても、まだ心がぴったりついてこないので、きっと素でいることに慣れさせるしかないのでしょう。

どっしり構えて、正面からぶつかっていくことを待ってくれているのなら、それに甘えてもいいんだと思います。それで壊れてしまう関係なら、それまでなのでしょう。

自分自身を変えていくのも、二人の関係性をよりよいものにしていくのも、トライアンドエラーです。仮に失敗したとして、その瞬間は痛みを伴うかもしれませんが、その失敗から学ぶことも多いはずです。

彼と出会わなければ、私は一生本当の自分をどこかに置き去りにしたまま、他人が作り上げた私という「役」を演じ続け、私を見失ったまま死んでいったのでしょう。

これからは、本当の自分の手を取って、肩を並べて歩いていこうと思います。その自分が「もう歩けない」と立ち止まるなら、その場で一緒に休めばいいし、調子が良いなら「速いよ~!」なんて笑い合いながらちょっと走ってみるのもいい。

そして、私が私でいることの心地よさを教えてくれた彼にできる一番の恩返しは、「彼が愛してくれている私を、私自信が愛してあげること」。それに尽きると思います。

最後に、ここまで読んでくれた方が、自分自身を愛せますように。そして、そんなあなたを愛してくれる人が、あなたの周りに溢れますように。


まこ.🌻

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?