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【宗教】【歴史探訪】神社ってそもそも何?


 昨日、遅ればせながら「御朱印帳」を手にした。
 転勤族の僕は今、福岡県北九州市に住んでいる。
 どうせならばということで北九州名物である「小倉織」という織物のカバーに纏われた、バチボコおしゃれな御朱印帳を購入した。

お求めは、北九州市門司区(門司港)にある「甲宗八幡宮」へどうぞ!
この他にも、デザインや色も様々にあと5種ほどあったと思います。

 小倉織は、肉厚で頑丈な木綿の織物。そのカラフルさに目が行きがちですが、僕は「水につければ更に締まり頑丈になる」「洗うほどに光沢が増す」「小倉藩で小笠原騒動が生じた際、小倉織の袴を着用していた中老が刺客から槍で突かれるも、小倉織の表面の滑らかさは槍を否し、頑丈さから袴に傷一つ残っていなかったという逸話があるほどの頑丈」
という3点から気に入っている。本当かは知らないけれど…。


御朱印とは?
 ザックリいうと、「参拝しましたよ!」という証で神社であれ、お寺であれ関係なくもらえるもの。らしく、別に神道のものでも仏教のものでもないそうです。けれど、元々はお寺にお経を納めた時の証だったそうです。

お経を収める?
 「納経」と言うそうです。写経したものをお寺に収めること(現代ではお経を読むだけでもOKなところが多いのだとか)で、今世や来世への願掛けや、先祖などへの追加供養のために行われていたそうです。

何で神社でもらえるの
 日本では古来、奈良時代から「神仏習合」という思想がありました。これは、日本古来の神(いわゆる神道、古事記などに出る日本の神々)と、外来のものである仏教とのそれぞれの信仰を融合して、調和してしまおうというものです。
 どちらが優位、つまり、神と仏のどっちが上かは、時代や信仰者によってまちまちなようです。明治時代1868年に政府が出した「神仏分離」でこの考え方は否定されることとなったようです。しかし今でも鳥居のあるお寺や、仏像のある神社があるのはこのことからだそうです。
 この「神仏習合」という考え方から、神社にも納経して良いんじゃね?というトンデモ発想に転じて、神社でも御朱印がいただけるようになったそうです。

 さて、僕自身。信ずるものは何か?と聞かれると、よく分からない。仏教徒ではある。我が家は「浄土真宗」だ。
 けれど、お寺よりも神社に寄りつく。死に事以外、基本お寺に行くことはない。個人的には古事記とか好きだ。あと、僕の考え方は過激ではないけれども右翼的だ。ライトウィング!
 右翼だとか関係なく、天皇家はどんな形でもいつまでも存続していて欲しい。天皇家は日本の宝だ。時代に合わないところがあるならば、変えても良いと思う。けれどその存在だけは決して無くしてはいけないし、日本人として誇りに思っても良いものだと思っている。もっと言うと、バカや外国人に税金をばら撒くくらいなら天皇家にもっと税金をぶち込んだ方がいいとさえ思っている。天皇が何なのかや、良し悪しは分からない。けれど、世界で唯一「皇帝(エンペラー)」を名乗れる存在。日本建国以来日本人の心や時代に根差し続けた皇帝一家がいて、それを我々の先祖も守り、一緒に時代を歩んできたと言うならば、僕はそれを誇りに思うし無くしてはいけないと思っている。

 少々、熱くなりました。何が言いたいかというと、天皇を尊敬することもすなわち、神道を信じていると言えると思っています。
天皇が皇帝である根拠は「天上世界(高天原;たかまがはら)の最高神である天照大神がその始祖とされている」からです。本当かどうかや、アマテラスが何者だったのかなどはさておき、僕こういった類のものにある種のロマン。もっと言うと紀元前の昔から僕ら日本人がそう信じて来たってことにすごく価値を感じます。

 紆余曲折いたしましたが、本題に戻ると…こんなロマンがあるから「何を信じていますか?」と聞かれれば「我が家は浄土真宗の門徒ですが、個人的には神道が好きです」と答えます。「けれど信じてはいません。神も仏も。あえて信じるならば、日本人やその人々の営みや歴史を信じています。僕は性善説を信じたい!!日本人よ!自らを誇れ!立ち上がれ!」と声高に続けたいです。

 鬱陶しいですね。友達が減りそうなので、これくらいにしておきます。

 さて、僕の話を長ったらしく例に出しましたが、このように日本人にとって宗教はすぐ側にあるにも関わらず、信仰心というものが希薄であるように思います。
 そのゆるさも僕は好きなんですけれど「いったい日本人は何をどれくらいの人が信じているのか」気になったので調べてみました。

 文化庁が「宗教統計調査」というものを毎年行なっているのをご存知でしょうか?

 日本の宗教に関して、信者の把握というのはかなり難しいそうだ。と、いうのも新興宗教などはつゆ知らず

1)日本には「政教分離」という憲法上の原則があるから、政府(行政)が、日本国民の信仰先を積極的に調査する訳にいかない。このことから「宗教団体の自発的協力なしには知り得ない」と文化庁のHPにも記載されている

2)そもそも日本人の中に明確な信仰先というものを持っている人が少ない

からだ。というのだ。

 では、ここで「政教分離」をザックリおさらいしましょう。
 憲法 第20条
・第1項「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」
・3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
 憲法89条にて、公金その他の公の財産は、宗教上の組織等のために支出してはならない
 と、まぁこんな感じで定めています。
 要は、政治に宗教を持ち込むなよ。ってことですな。まぁ、僕はこの原則が守られているか?黒に近いグレーだと思っていますが…

 では、文化庁の「宗教統計調査」を見てみましょう。

https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00401101&tstat=000001018471&cycle=0&tclass1=000001212980&stat_infid=000040132820&tclass2val=0


 はっきり言います。めちゃくちゃ見づらい。国のHPって誰が読めるんだよこんなもんってくらい分かりずらいですよね。誰が読んでも同じ解釈でなければならないのが公文書であり、公務員が国民に提示する文書でなければならない。というのは分かるが、理解できないのでは元も子もないと思う。
 なので、他の記事も漁りつつこの文献を読み解くと
日本の人口約1億2千万人に対して、何らかの宗教の信仰者の数は約1億6千万人となるそうです。

 はぁ?人口超えてんじゃん!!

 この文献の情報元は、宗教団体からの自己申告制なので「まぁ、多分これくらい」と雑な申請であったり、「同じ人が複数の宗教法人にカウントされている」などなどがあるようです。だから、日本の人口より信者数が大きく上回ってしまうそうです。

 「仏教徒(お寺の檀家)だけど、神道の氏子でもあるよ」って人もかなりいるようです。あと、僕の曽祖母の晩年ように、独居老人が寂しいからって理由で周囲の反対を押し切ったり、黙って新興宗教を何個も掛け持ちしているパターンとか。ちなみに僕の曽祖父は「エホバの証人」「創価学会」「幸福の科学」と、これぞって新興宗教のフルコンボを達成していたらしい。そんなことできるのか疑わしいし本当かは知らないが…。

 では次に宗教別にその信者数を見ていきましょう。

・神道系   約8400万人
・仏教系   約7000万人
・キリスト系 約120万人
・その他   約700万人

文化庁HPより

 これで1億6千万人。これはあくまで「〜系」なので、ここから更に枝分かれしていくこととなります。この先の枝分かれに関しては、別の機会で勉強してから記事にまとめようと思います。 


 ここから先は、神社にだけフォーカスを当てて記載して行こうと思います。

 文化庁や神社本庁のHPによると日本に神社は8万社あるとされています。

文化庁HPより

しかし、これは把握でいているだけの数で「地方の農村に埋もれていたりする神社や小さな祠を含めると20〜30万はあるのではないか?」と記載しているHPも散見されます。

 そのうち、有人神社は約2万社。となっていますが宮司さんの数は1万1千人ということなので、1人が複数の神社の宮司を兼務されているということになりますね。神職者だけでいうと2万1千人だそうです。
 では、以下それぞれの用語に沿って調べてまとめていきます。

1)神道とは?
 惟神道(かんながらのみち)とも言い換えられる。「神代(紀元前711年2月13日生まれで初代天皇である神武天皇より前で神様が世界を納めていた時代)から伝わってきて、神の御心の真の道。を信じるということ。

(以下主観)やっつけた言い方をしてしまうと人は神ではないけれど「神様のような生き方をしよう!神様から学ぼう!!」というのが神道だと思います。具体的にどう生きるの?それを体現なされている分かりやすい例が「天皇」だと思います。そして、太古の神々の歩みを記しているのが日本最古の書物である「古事記」です。

 そして古事記とは、712年に編纂されたものです。神々の話を書いていますが、これは日本全国津々浦々で起こった、当時の人では合点のいかなかったものの理由づけに「神話」を用いて理解に努めようとしたり、道徳を説いたものだと思っています。

 例えば「死者を冒涜してはならないし死者と再び会おうとしてはいけないよ」というのを伝えるときには、イザナナギとイザナミの国造り神話のうち「黄泉の国(黄泉平坂)神話」を用いたのだろうし、また同時に「毎日死者が出るのに、人口が増えている理由」もこのエピソードから理屈付けていると思います。

 他にも、太陽神であるアマテラスが隠れちゃった、天岩戸のエピソードは「梅雨であったり、皆既日食の理由づけ」だったり「乱暴をするとお天道様が怖がって隠れちゃうよ!」という子供への戒めに使ったのか。はたまた、現代ほど豊かではない時代です。当たり前に食事ができるわけでもない。そんな当時に障がいを持って生まれた人は口減しのため殺すという手段をとっていたと思われます。しかし、口減しのための殺生を体裁よくするために生まれたのが「生贄」というものだと思っています。先ほどからずっと僕の根拠のない主観ですが…「神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った」というエピソード。「胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。」というのは、おそらく当時でもかなりの奇行であったろうと思います。知的障害があったのではないでしょうか?それを知的障害という概念のない当時は「神憑り」と表現して理解したのではないでしょうか?それを見て、他の神々は笑っていた。すると、アマテラスはその笑い声が気になって岩戸からひょっこり出てきて、世界はまた光に包まれた。つまり「晴れ乞い(アマテラスを呼ぶ)」には、「神憑りしたもの(障害者)を差し出せば良い」という、定のいい口減しの理由、生贄の正当化への話ではないか?と僕は勝手に思っています。

暴論かもしれませんが、そんな風に野蛮な側面も持ち合わせる「過去の日本人がたくさんしてしまった失敗」だけど「そこから学んだもの」から紡ぎ出されたものは、神話になり親から子、年長者から年少者へ、森羅万象や物事の善悪の基準の説明としてきたもの。つまり、日本人の営みの積み重ね。そこから副産物的に生まれた神というものに敬意を示そう。そして、過去から学んでよく生きようというのが神道なのではないでしょうか?(以上まで主観)

 ついて来れていますか?記事は続きますよ!
 僕のような暴論に走らないまでも、古事記は読み物としても面白いので一読をおすすめいたします!

2)神社とは?
 つまり、神道に基づく祭祀(儀式のための)施設。分かりやすい!急にシンプル!

3)祭祀対象は?
 祭祀(さいし)対象は、神である。神と一言で言っても「八百万の神」と言われるように、多種多様。山や河川、岩、実在の人物や伝説上の人、動物、仏様などなど、何でも神になり得るし、男根(ちんちん)崇拝だって神道だし、祭祀対象としている神社がある。
 古来は、山や滝、岩、森、巨木に神が宿るとして祭祀対象としたようです。

4)神道って1つの宗教法人なの?
 神道のその大半は神社本庁の管理しているものと言えそうです。けれども、神道の宗教でも神社本庁に属さない神社があるようです。

 例えば…

・単立宗教法人(神社神道だけどその傘下にない)として
 伏見稲荷大社、靖国神社、日光東照宮
など。

・教派神道(神社神道と別に、政府が公認した民間の神道)は
 復古神道系 神道大教、神理教、出雲大社教
 儒教的   神道修成派、神道大成教
 民間神道系 禊教、神習教
 山岳信仰系 扶桑教、実行教、御嶽教
 独自の教義に基づく 金光教、天理教、黒住教
などが、あるそうです。

5)神宮?大社?
 「○○神社」とあった場合、○○の部分が「社名」で、神宮・宮・大社・社等を「社号」と言うそうです。

・神宮
 古くから皇室と関係のある神社や天皇を祭神として祭る神社。または政教分離以前までに勅許(天皇の許可)を得て命名した神社。伊勢神宮はただ「神宮」と呼ばれる。
 今は、神社本庁が認めた特別に位の高い神社だけが「神宮」を名乗れるようです。
いくつかを 以下の通り社名と祭神をまとめてみます
皇室祖先神系
 伊勢神宮 〜 内宮に アマテラス大神
 伊弉諾神宮〜 イザナギ・イザナミ
 霧島神宮 〜 ニニギノミコト(アマテラスの孫)
天皇系
 宮崎神宮 〜 神武天皇
 宇佐神宮 〜 応神天皇、神功皇后
 赤間神宮 〜 安徳天皇
 平安神宮 〜 桓武天皇、孝明天皇
 北海道神宮〜 明治天皇
 明治神宮 〜 明治天皇
その他
 熱田神宮 〜 三種の神器の草薙剣
などなど!!
 確かに、格は高そうです。熱田神宮の草薙剣が祭神なのはちょっと面白いですね。まぁ、石や川が神になるんですから、神器が神として祀られても変ではないのかもしれません。けれど個人的には少し違和感です。

・宮
 皇族を祭神とするものの他、東照宮など神仏習合時代に生まれた神社が多いようです。

・大社
 特に伝統ある出雲大社を除いては、明治の社格をつけた尊称。
例)伏見稲荷大社 稲荷神社の総本山。祭神は稲荷大神。

・社
 大きな神社から御祭神を勧請した神社に多く見られます。

つまり、めちゃくちゃ由緒あるのが「神宮」。そこそこ由緒あるのは「宮」。祭神がちゃんといる神社は「大社」。分室や別荘みたいな感じ?で祭神を勧誘した神社が「社」。こんな感じの理解でいいのではないでしょうか?

6)稲荷様?金比羅様?八幡様?天神様?
〜 稲荷神社 〜

 全国約3万社あり、祭っている神は「稲荷神」であり
・宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
・佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
・田中大神(たなかのおおかみ)
・四大神(しのおおかみ)
の5柱のいずれかまたはその全てで、いずれを稲荷神として祀るかはその神社ごとに考えが若干違うが、宇迦之御魂大神(五穀の神)を稲荷神を主祭神とするのがポピュラーなようだ。一般には「稲荷大神」「稲荷大明神」「お稲荷様」等と呼び、稲を象徴する穀物の神、農耕の神。総本山は、京都の稲荷(伊奈利)山の伏見稲荷神社。
 元々は、穀物や農業の神であったが、現在は産業全体の神として崇められている。

 古来、田の神の祭場は「狐塚(キツネの住んでいる穴や塚)」だったことから、転じて、この狐塚に稲荷神を祀るようになった。そして、総本山の伏見稲荷神社では「稲荷神の神使は狐」とされている。狐が神使に位置付けられた理由の1つに「穀物を食い荒らすネズミの天敵→ネズミから穀物を守る」と考えられたからというものもある。また、江戸時代以降は、商売の神として認められるようになり、民衆からの人気を博した。

 稲荷神には、御神酒や赤飯の他に米俵を模した寿司、つまりいなり寿司及びそれに使われる油揚げが供えられるようになった。このことから、油揚げを使った料理のことを「イナリ」と言うようになった。狐が油揚げが好きだからというわけではないようだ。
 以上のことから、全国の多くの稲荷神社では赤い鳥居とセットで白い狐がシンボルとして設けられている。

〜 金比羅神社 〜
 全国に約600社あり、祀っているのは「大物主神」。
 総本山は、香川県にある「金比羅宮」で祭神は「大物主神」と「崇徳天皇」。
農業、殖産・医薬・海上守護の神として信仰されている。

以下、独学で得た知識をもとにした僕の解釈)
 この大物主神は、「大国主」の別名とも言えそうです。
 大国主神といえば、この日本を作ったとされる神。そんな大国主神の持つ、荒魂(荒々しさ、勇猛さ)と和魂(優しさ、仁愛)のうち、後者の和魂(にぎみたま)の神が大物主。
 大国主という神は、その時々で様々な神の力を吸収するたびに名前が変わる一面がある様子。ですので、大国主は大物主であるけれど、大物主は大国主の一部だ。と、とらえるのが良さそうです。「大物主も大国主も元々は全く別の神だ」というものもありますし、この辺はたくさん調べたのですが、独学では限界があり、いまいち僕自身も理解ができていません。しかし、一応、大物主がパワアップしたバージョンが大国主だと仮定して、説明を続けます。

 では、いつから「大物主」は「大国主」になったのか?というと、素戔嗚(スサノオ)の娘に恋をした「大物主」は、素戔嗚の目を盗んで娘と駆け落ちをしようとする。ここで素戔嗚は大物主に3つの難題を出す。難題を無事に成し遂げ、眠る素戔嗚の髪を柱に縛り付けて素戔嗚の宝を奪って駆け落ちしようとする「大物主」。この時、素戔嗚が(今から娘婿となることを祝福して?)「以後、大国主と名乗るがよい」と言葉を送る。この瞬間からかと思います。
 しかし、素戔嗚の娘に恋をしてのちに「大国主」と名乗るのを許されたのは大穴牟遅(オオアナムヂ)ではなかったでしょうか?
オオアナムヂが、大物主と同一人物なのか?
分かりません。けれど、両者とも「大国主」という神になることに誤りはないと思います。つまり、オオアナムヂも大物主も同じ神ではなけれど、大国主という神の一部または過去であるといったところでしょうか?神話ですから。ある程度のことは大目に見ましょう。(以上、勝手な解釈)

 また、日本酒の酒蔵には慣習として杉玉を軒先に吊るすことがある。これは酒造りの神でもある大物主の神力が古来、杉に宿るとされていたためと言われている。

〜 八幡宮 〜
 全国に約44,000社あり、祀っているのは「八幡神」でこの八幡神を祀る神社が日本では1番多い。(個人の家や小さな祠にて祀られているものをカウントすると稲荷神の方が多い?)
 総本山は、大分県の「宇佐八幡宮」。
 古くは、武運の神として崇敬される。また、現代では「安産祈願」として参る人もいる。
 八幡神=応神天皇とする見方もある。また、神仏習合からの流れで「八幡大菩薩」と称され、寺院にも祀られることがある。

以下、再び僕の勝手な解釈)
 八幡神は、その名が「古事記」にも「日本書紀」にも登場せず、由来も謎に包まれている。元々総本山の宇佐神宮は、土着の神を祀っていたようだが、その後、第15代天皇の応神天皇=八幡神とされた様子。
 そして、(清和)源氏が八幡神を氏神としたことから、全国の武士がその氏神=武運にあやかろうとして、源氏の守り神=武家の神という風潮になり一気に全国で八幡宮が建立される。宇佐神宮の祭神はもともと土着の神で、「農耕」「海」「鍛治」の神として祀られていた(以上。僕的解釈)

 また、八幡とは本来「ヤハタ」と訓読みで読まれていた。しかし、神仏習合から仏者の読み方である音読の「ハチマン」となった。「八幡」の「八」は、八百万などに見られるように「数多く」の意味をもち、「幡」は、神が依る対象物である「旗」に起因する意味を持つ。また、応神天皇が降誕した際に家屋の上に8つの旗がたなびいていたともされている。

〜 天満宮(天神様) 〜
 全国に12,000社あり、祀られているのは「天神様」=「菅原道真」。
 もともと、天神は「雷神」と同義である
 総本社は「北野天満宮」、総本宮は「太宰府天満宮」とそれぞれ優劣なく(?)頂点に君臨している。
 現在は、学問の神。しかし、元々の「雷神」という点での天神様は「農耕の神(雨は農作に欠かせないから)」。江戸時代以前は、道真の人となりから「学問」だけでなく「慈悲」「正直」「冤罪を晴らす」「有名な和歌(東風吹かば〜)で知られるように、芸能」「長寿」「戦勝祈願」等々で信仰されていた。

 901年。菅原道真は、藤原時平の陰謀で、福岡県は太宰府へ左遷される。道真が失意のうちに亡くなった後、道真は「天満大自在天神」という神格で祀られる。
 しかし、全国では「疫病」「日照り」「後醍醐天皇の息子の死」と、当時の人々としては祟りともとれる出来事が相次ぐ。
 そして、極めつけに平安時代の天皇の御殿であった「清涼殿」に落雷があり多くの死者が出た。これを道真の祟りだと恐れた民衆や朝廷は、道真と雷神を結びつけて考えるようになった。そして、京都の北野に「火雷神」という地主神が祀られており、朝廷はここに「北野天満宮」が建立させ、道真の怒りを鎮めようとした。そして、道真の亡くなった地である太宰府には後の「太宰府天満宮」である、安楽寺廟が建立される。

 道真は牛と縁深く・道真が丑年であること・太宰府へ左遷される道真を牛が泣いて見送った・道真は牛に乗って太宰府に来た・牛が道真を守った・道真も牛も相思相愛であった等々、様々な逸話から天神様の神使とされている。
 

と、まぁこんなところで、ざっくり神社の説明を終えようと思います。

 正直、全く知識がなかったので、これだけを調べて記事にまとめるだけでもかなりの時間を要してしましました。
 しかし、調べれば調べるほど過去の人々の歩みが分かるようで不思議な温かみに包まれるようでした。また機会をみて、次は
 宮司?巫女?
 地鎮祭?祇園?放生会?
 参拝マナーって「2(再)拝2拍手1拝」以外もあるっぽいけど、ぶっちゃけどう違うの?
なんかを調べられたらなぁと思っています。

 もぉ疲れたので、今回はここまでで。皆様も疲れたでしょう。それ以上にお僕の方が疲れてるから!腰痛いし。ぶっちゃけ、3日掛かってるからこの記事。調べたりなんだりで。仕事以外、ずっと神社のこと調べてたから!!

 そろそろまた、ふざけた記事を書きたい。
 最近真面目すぎてる気がする。

ではっ!!

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