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掌編小説|桜月夜に詠む歌は

 しとしとと降り続く花時の雨が漸く止んだのは、おみつの恋が破れた日だった。
 否、想いは確かに通じ合っていたのだが、拒まれたのだ。添うことを。

「約束したやいか……」

 おみつも忠行も、元々神崎家の家臣団のひとつである千馬家の人間で、血の繋がらない幼馴染だ。
 どれだけ長く離れていても、二人の間には深い絆があった。

「ずっと……ずっと待ちよったに……」

 雲の切れ目から顔を出した月が、おみつの泣き腫らした目のようにぼんやりと空に溶け、庭の桜を照らしていた。

 なぜ添うことを拒むのか。
 理由は聞かなかった。
 どうせ、分かりきっている。

「あの頃とは違うんだよ」

 桜の樹の陰で忠行は呟いた。
 大樹の根っこに腰掛け、髪は雫が垂れるほどに濡れている。

 今日のこの空が、永遠を誓ったあの日の空に似ていたから。
 彼女の目が、あの日と何ら変わらなかったから。
 あの日、桜の下で交わされた約束に、血で汚れたこの手では触れることができなかった。

「歌でも詠もう、あの頃のように。そがな顔せんで…」

 そういえば昔、おみつによく歌を教えたっけ。人は心の有り様を短い言葉の中に紡ぎ出す。おみつは歌を通じて恋心というものを知った。そして忠行も。

 永遠を誓いながら運命に翻弄され苦しんできた。おみつの心から上手く逸れた振りをして、歩き出すしかなかった。出来ることなら、掴み損ねた日々をもう一度掴みたかった。

「おみつ、おれは──」

「恋ひ恋ひて逢える時だに愛はしき言尽してよ長くと思へば……」

「は?」

 意外にもおみつはそれだけ言うとさっさと立ち上がり屋敷へと帰っていってしまった。忠行は面食らった様子で固まっている。先程までしおらしく泣いていたのはどこのどいつだ。

「上等じゃねぇか」

 ──恋しいと思い続けてやっとお逢いできたその時くらい、せめて優しい言葉をかけてください。この恋を長く続けようと思うのであれば──

 変わったのは自分だけではなかった。おみつだって変わったのだ。強く。
 桜月夜に詠む歌は、この恋がまだ始まったばかりなのだと告げていた。


あとがき

雰囲気時代小説。
戦国時代後期ぐらいのお話。
戦に出て幾人もの人間を殺めてきた自分が幸せになっていいはずがない。
そんな葛藤を抱えながらもおみつを想い続けてきた忠行に、おみつが送った歌。

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