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自己紹介#2 森をつくる農業との出会い~逆境から創業に至るまで~

こんにちは。
前回のアマゾンとの出会いに続いて、今回も創業時のことを綴りたいと思います。
約10年がかりでクプアスの生産者を探す中で、いよいよ現在のサプライヤーでもある日系農協のCAMTAがあるトメアスにたどり着きます。


ジャングルは畑?

2000年にパラ州のベレンでCAMTAの当時の理事長だった伊藤ジョージさんに出会い、その翌日にトメアスに向かいました。
ベレンからトメアスへは、現在は車で3~4時間程で行けますが、当時は未舗装の悪路を約7時間もかけて行ったと記憶しています。

意外だったのは、どこまで走ってもアマゾンらしい景色が見えてこなかったこと。。
眼の前に広がるのは赤土のでこぼこ道とひどい土ぼこり。
そしてその周りに延々と広がる、開発による森林伐採の光景でした。
あちこちに焼畑と思われる黒煙も立ち上り、あまりに悲惨な景色に、一体どこに連れて行かれるのだろう?という恐怖感さえ覚えました。
写真は当時のものではありませんが、こんなイメージです。

焼き畑の現場から立ち上る黒煙の写真

長い道中、ようやくジャングルらしい森が現れたころ、道中でレスキューしたリクガメと共にトメアスに到着しました。

「まずは畑を見学させてください。」
私のリクエストに返ってきた答えは、
「あんたはずっと畑の中を通ってきたんだよ。全部私達の畑だ。」

ジャングルだと思って通ってきた森は実は畑だったのです。
これが、森をつくる農業「アグロフォレストリー」との最初の出会いでした。

40年近くになるアグロフォレストリーの農場の写真
40年近くになるアグロフォレストリーの農場

単一栽培は間違っていたんだ

結論から言うと、そのジャングルのような畑は、道中で見てきた荒廃地を再生させた「森のような畑」だったのです。

日本移民は1929年から農業開拓目的でアマゾンの地に渡り、未開の土地を開墾した後に、カカオやコショウなどの熱帯作物を栽培しました。
しかし慣れない熱帯での農業は困難の連続で、単一的なプランテーション栽培で一時的に大収穫が得られても、厳しい気候と病害にさらされて壊滅的な被害に遭います。

コショウを収穫する日本人移民の写真
コショウを収穫する日本人移民

特に1960年代に蔓延したコショウの根腐れ病では、多くの生産者が困窮し、自ら命を絶った方もいました。
多くの移住者がこの地を去り、残った人たちがサバイバルの末にたどり着いたのは「アマゾンの自然に学ぶ」という単一栽培との決別だったのです。

熱帯雨林は生物多様性の宝庫と言われるほど複雑な生態系で構成されており、厳しい環境の中でも持続しています。
それに対して、農業のスタンダードは単一栽培。
多様性に乏しい農業はアマゾンで持続できないのです。

私は気づきました。
単一栽培がアマゾンの自然を破壊する原因に違いないと。

農業がアマゾンを壊している

皆さんはアマゾンが減少しているというニュースを何度も聞いていると思います。
それが経済開発により引き起こされている事もご存知だと思います。
しかし、単一栽培型の農業が主因の一つであることを知らない人は多いと推測します。
かつての私は、農業は環境の破壊要因ではなく、自然に良いものとさえ思っていました。

大量生産型の単一栽培技術が自然の多様性を破壊し、アマゾンを減少させていた事実には衝撃を覚えました。
また「単一栽培=利益・効率追求型経済=資本主義」自然の法則に反していることに初めて気付かされました。

オイルパームのプランテーションの写真
オイルパームのプランテーション

海賊だから見えた景色

「欲しいものや利便性は努力次第で手に入れる事ができる」
「ビジネスはどんな夢でも叶えてくれる」
と信じ、「アマゾンの海賊」とまで非難された男が、アマゾンで自然の摂理ともいえるアグロフォレストリーに巡り合うのは皮肉なものです。
しかし、真逆の世界にいた人間でもなく、商標問題を機に熟慮する機会も与えられていなければ、アグフォロレストリーに感じ入ることはなかったかもしれません。
これは必然の出会いであり、運命とも言えます。

この時期、クプアスの商標問題が本格化し、私個人だけでなく、勤めていた日本の会社が標的になり、CAMTAまでもが「国賊か!」と批判される事態になっていました。
私だけならまだしも、いくら何でもこれは本望ではない、もうやめようと、地球の真裏で孤立無援の私は事業撤退を決心したのです。

アグロフォレストリーこそ価値がある

意気消沈していた私に対して、ジョージ伊藤さんやCAMTAの専務理事であったイバン斉木さんが、「長澤さん、アグロフォレストリーこそ価値があるんだ。70種類もの農林作物があるんだ、クプアスだけに拘ることはないよ。」と声をかけてくれました。
頭の中でもやもやしていたものがクリアになった瞬間でした。

「そうか、これからの経済は変わらねばならないのかもしれない。それは自然の摂理を取り入れた経済であり、人間やお金が支配する産業資本主義ではなく、自然と人が共存する経済、つまり自然資本主義に違いない。それを実践しているのがアグロフォレストリーなんだ。」

アグロフォレストリーの農場内の画像

「先進国の市場にアグロフォレストリー商品をオーガニックのように付加価値をつけて広げることができれば、アマゾン、いや世界の荒廃地を森林に再生できるはずだ! これこそ自分のミッションに違いない!

人生のパーパスがまとまった気がしました。

それに気付いた私はこの構想をCAMTAに話し、実現するためには専門のマーケティング会社を設立しなくてはならないこと、そのためには資金集めが必要で、投資家に説得するためには独占販売権が必要だと話しました。

そして2002年、
世界初のアグロフォレストリーマーケティング企業として
フルッタフルッタが誕生したのです。

アマゾン川の流れのように

クプアスから始まり、アマゾンで海賊と批判され、そこで出会った素晴らしい人たちに諭されてアグロフォレストリーにたどり着くという紆余曲折がありました。

いつの頃からか、自然という決して抗えない大きな力に立ち向かい、打ち返され、進路を曲げられながらやがて大きな川となり、目的の大海に出ていくアマゾン川のようだと感じるようになったのです。

アマゾン上空の景色の写真

次号につづく。

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