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自己紹介#1 はじまりはアマゾンの海賊

こんにちは。
第一回の投稿からだいぶ時間が経ってしまいました…
ここで新しく出会えるみなさま、はじめまして。
改めましてよろしくお願いします!

本日は自己紹介を兼ねて創業時のことを書きたいと思います。
アサイーおじさんなのにアマゾンとの出会いは他のフルーツからだったという話。
長くなりそうなので連載にしていきます。


神様の果実、クプアスを求めて

1990年、チョコレートのメーカーでもある神戸の食品会社に勤務時代、
アメリカの友人がブラジルのアマゾンに面白いチョコレートができるクプアスというフルーツがあることを教えてくれました。

クプアスとは、アマゾンフルーツの代表格の一つで、現地ではアサイーと同じぐらいメジャーなフルーツです。

クプアスの実の画像
表面が少し毛羽だった硬い殻の中にぎっしりと詰まった果肉

カカオの親戚に当たるクプアスは、種よりも神秘的な香りを持つ果肉が人気「神様の果実」とさえ呼ばれていました。
実も花もカカオより大きいので、「大きなカカオ」を意味する先住民の言葉が名前の由来とされています。
種子もカカオに比べて大きいクプアスのほうがインディオにとってはグレートであったという言い伝えもあります。
クプアスについて詳しくはこちらからご覧ください。
https://www.frutafruta.com/fruit/amazonfruit/#details_cupuacu

世界初のクプアスチョコレート開発!

クプアスも、カカオと同じく種子を発酵させてチョコレートができます。
何度かサンプルを送ってもらい、スカウトした技術者に試行錯誤でダークチョコレートを作ってもらったところ、金木犀に似たフローラルな香りと、乳原料不使用なのにミルクチョコレートのようにマイルドで美味しい試作品ができあがりました。

種子発酵の際に、クプアスの果肉の香りが独特のフレーバーをつくっていたのでしょう。
そして、カフェインやテオブロミンといった苦みの強い刺激物をほとんど含まないため、コーヒーで言えば"デカフェ"のようなチョコレートだ! と直感。

クプアスがアグロフォレストリーで栽培されていることもあり、ヘルシーでエコロジーなチョコレートを、デカフェ大国の米国市場向けに事業化することにしたのです。
これが私とアマゾンを繋ぐきっかけとなりました。

チョコレートづくりの画像
※イメージ画像はカカオによるチョコレートです

アマゾンの現実

クプアスの種子は用途がなく廃棄されていたので割と手に入れ易い状況でしたが、それを集めて、現地で発酵や乾燥、焙煎ができる生産者を見つけることが第一の課題でした。
ここから気の遠くなるような生産者巡りの旅が始まります。
今流行りのカカオハンターの自称元祖です(笑)

まずはじめに降り立ったのが、奥地のアマゾナス州でした。
生産者は点在していることがわかっても、アマゾンはとにかく広い!
そして道路は舗装されておらず、インフラは脆弱。
また物流は川が中心で大量輸送が難しく、日本では当たり前なことでも、何もかもが困難の連続で途方に暮れました。

ブラジルの地図

CAMTAとの出会い

紆余曲折を経て諦めかけていた2000年、隣のパラ州のベレンという河口の街で、当時のCAMTA(トメアス総合農業協同組合)の理事長、ジョージ伊藤さんと運命の出会いをします。
日本移民がアマゾンに農協を設立し、大量にクプアスを栽培していたのです。
なんともこの上ない条件!

「お前さん神戸から来たのかい? 俺達の親も神戸から船に乗ってやって来たんだ。クプアスでチョコレート? 面白そうな話じゃないか、アマゾンの仕事は命がけだが本気で取り組むのなら協力してやってもいいよ」と、
ベレンの隠れ家のようなレストランで、長年の苦労を裏付ける深いしわと日焼けした組合のリーダーから、ベレンから220キロほど離れたトメアス群にあるCAMTAへの訪問を許可されました。

アマゾンの盗賊と呼ばれて!?

トメアス訪問の話は後述するとして、創業時の秘話として書かずにいられないのが商標問題です。
私はCAMTAと出会う数年前から商標や特許を申請して商品化に取り組んでいました。
これが、後に悲劇を呼ぶことになるとは・・・当時思いもしていませんでした。

チョコレートを「チョコレート」と呼ぶにはカカオが原料でなければならないと国際基準で定められているため、クプアスはチョコレートとは呼べず、商品名に「クプアス」を使わざるを得ません。
そこで日本で調査した結果、驚いたことに既に幾つかの分類で商標を取得されていたため、当時登録がなかったチョコレート菓子分類で「クプレート」と「クプラッチ」を合法的に登録したのですが、これが現地感情に火をつけ大炎上することになります。

アマゾンの森林を守る運動をしていたヨーロッパ系のNGOがこのニュースを聞きつけ、ブラジル全土に日本人がアマゾンの宝物を盗んだ!とプロパガンダを展開したのです。
私は不本意ながらブラジルのテレビや新聞でBIO PIRACY(生物資源の海賊)と報道され、マック長澤は一気にブラジルと米国で海賊として!?有名になりました。
皮肉なことに、ブラジル国内でもアマゾンの産地でしか知られていなかったクプアスを有名にしたキッカケにもなったのです。

ショックを受けている海賊の画像

その後、駐日ブラジル大使館のサポートを受けて、クプアスの商標を返上し永久欠番にすることができ、この大騒動は沈静化することになります。
ブラジル国内では、今ではこの事件が国の財産を守る大切さを物語る一説として教科書にも記載されているそうです。

商標の教訓

「先進国が決めたルールが全て正しいとは限らない」
「現地感情を逆なでするような共存型ではない商業主義はうまくいかない

合法的に競争に勝ち、利益が出れば良いという資本主義観念に浸りきっていた私にとって、この時に得た多くの教訓が、その後のフルッタフルッタの設立、そして企業理念に強く反映されることになります。

次号に続く

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