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アンジェラ #第6夜

初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。

好きなタイプの男のひとを
改めて言葉にしてみると、
色気のあるひとが好きです。

色気という表現はたいそう便利で
あなたの思うそれとわたしのとでは
まったく中身が違っていても、
なんとなくお互いにお互いが思うそれを察して
「分かるー!色気のあるひといいよね!」などと
なぜだか共感される言葉で。

わたしにとって、色気とは、
どうしようもなくオンナの部分が疼く
着火剤のような性的魅力も含まれるのだけれど
もっとも大切なのは知性、
文学的に、
惹かれるものがあることを指すのだなと
初めて意識したのは21歳のある冬のこと。

そういえばいつの日も
ひとを好きになる瞬間って、
そのひとの持つ叙情的な側面を知るときで

小気味良い会話のラリーや
声が聴こえてくるような表情豊かな文才に
「あなたのこと、もっと知りたい」と
わたしのなかの狩人が目を覚まし
分かりやすく懐き、尻尾を振り始めるのです。


ところで、
わたしの人生、という狭い世界の話だけれど
出会ってきた男のひとの多くが
天使を求めていたように思うのです。

やさしくて、包み込んでくれて、
笑顔にさせてくれる慈しみ深き女性。
あるひとは聖母マリアと表現したり
またあるひとは女神と例えたりしていましたが
つまるところ、絶対的に味方でいてくれる存在。

女の子が天使だなんて嘘で、
あざとくて、ズル賢くて、計算高くて、
オトコをどう手中にするかしか考えていないのに
そういうオンナたちに気づかず
軟弱になっていくオトコたちに呆れて

でも、
そういう女の子になれるオンナに羨ましさもあって。

リュック・ベッソン監督の「アンジェラ」という映画に出逢ったのはそんなときで。

(↑山崎まさよし氏が映画に感銘を受けて書き下ろした公式オマージュ楽曲。)

わたしが求めていた天使像がそこにはありました。

純真無垢な天使ではなく

たとえ汚いことをしてでも、
自分の守るべきものに尽くす。

21歳の冬、
わたしには、
アンジェラになるために
手を差し伸べたひとがいました。


見た目はめちゃくちゃナイスガイだし
音楽の趣向もハイセンスなのに
こころがとても傷ついていて

たぶんそれは失恋や痛みやら
さまざまな理由があったのだろうけれど
こころに鍵をかけて、
あまのじゃくになって、
青春の病に冒されたひとがいました。


きっと、
わたしでなくても、
誰かに見つけてもらえる人生だったと思うけれど

そのときのわたしは
彼がダークサイドに堕ちきる前に
どうにかして救わなくては、そう意気込んで
気づかれないように
忍び足で彼のこころに擦り寄りながら
やさしく、小さく、祈りにも似た気持ちを込めて
そのこころの扉をノックしたのでした。

心根のやさしいそのひとは言いました。
#mixi日記のコメント欄でw



「天使じゃなくても救えるよ、
 猫になったって救えるのかもなぁ。
 …違うか、猫は救う必要のない、
 ただ甘えられる飼い主のところに
 行くのだろう。」

「就活の集団面接で一人くらいいるはずだよ。 
『自分を動物に例えると何だと思いますか?』
 って問いに「猫です。」って答える女が…。 
 僕は感覚的にNGです。」

「ないものをただおねだりしてる人って
 すごくくだらなく映ってしまいます。 
 無くしたものを取り戻すのに必死で、
 前以上が中々見えてこない
 嫉妬かもしれないな。」


「僕はカンガルーが好きです。猫娘は嫌い。 
 それは猫娘と戯れたがる
 甘ったれた自分が出てくるから。
 そう、本当は猫娘じゃなくて
 甘ったれた自分が嫌いなんだ。 
 でもあなたが猫娘なら僕は猫娘が好きです。」



これはわたしの人生でもっとも嬉しかった求愛で
固く閉ざされていたはずの扉の鍵を
彼が自ら開けてくれたのだ、と
21歳の小娘だったわたしの胸は高鳴り、
心臓の奥からきゅうっと、じんわりと
カラダもあたたかくなっていったのです。



とても光栄なことに、
わたしは
そんな彼のたくさんの初めてになりました。


社会人と、大学生。
アパレル店員と、就活生。
埼玉実家住まいと、茨城実家住まい。
20代になったばかりのふたりにとって
環境も物理的にも離れていたけれど、
疑うことなく、大丈夫!
そう信じてわたしたちは過ごしていました。


そんなとても大切なひとを、
わたしは裏切ってしまいました。

また彼をひとりにしてしまった後悔で
わたしは打ちひしがれていました。

打ちひしがれながら、
ひと回り近く年上の
どうしようもなく惹かれてしまうひとのもとに
行ってしまいました。

すでに散々浮気だのセフレだの
そんな人生を送ってしまっていたわたしですが

この純粋な彼だけは、
ほかのひとで汚れてしまったわたしで
彼のもとに戻れない、
そう思って、正直にそう伝えて、
離れることにしたのです。

わたしの20代は
この彼への懺悔で成り立っていました。
こんなにステキな彼と離れてまで
あのひとについていったのだから、
どれだけ傷ついても、
どれだけ傷つけても、
歯を食いしばってあのひとに喰らいつくしか
わたしには選択肢がないように感じていました。


彼がこころを捧げられる恋人を見つけて
しあわせに暮らしている様子を見届けるまでは
生きねば、
そう思っていました。


そうすることが、
わたしなりのアンジェラだったのです。

それから5年後くらいでしょうか。

偶然、山手線で同じ車両に乗り合わせ
彼から声をかけてくれたことがありました。

原宿で電車に乗り込んだわたしは
彼の存在にまったく気付いていなかったのですが
新宿で彼が乗り換える去り際、肩を叩かれ、
「おつかれ!」のひとことと共に去っていき
仕事で疲れ果てていたそのころのわたしの眼には
悔しいほどいいオトコに映りました。


その後、歳月を経て、彼は結婚をしました。
瞳の大きな、色白ででも健康的なかわいい女性。
離れて、ほんとうによかったと思います。

わたしは、
去りゆくひとみんなにこれを願っています。
ひとりとして、
不幸になってしまえ、
みたいなダークな気持ちは芽生えません。
わたしと離れたからには
美しくステキな女性と巡りあって
さらに目を見張るような色気のある殿方になっていって欲しいのです。

物理的にも遠いところから、
気づかれないように、そっと見守っています。

#余談ですが
#知る限り元彼の9割は適齢期に結婚されました
#もしかしてわたしのおかげかもw


いつか、わたしの命の帳には、
わたしとの日々を少しくらいは思い出して
弔ってほしいと図々しくも願っている、
そんなあるナイスガイとの想い出のお話。


つづく

#なお
#映画の賛否両論は受け付けておりませんのでご容赦くださいませ


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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