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わたしの仕事のはなし。⑤

どかどか書いてるのだけど(書いていたのは休日で時間がとりやすかったし)、投稿前に読み返すのも、また、自分はおもしろいのだけど、読み手は大丈夫かしら…とちょっと不安に思いながら。苦笑

(ここまでの記事のリンクが貼れてなかったので追記しました🙏10/04)


そんなこんなで大学院

養護教諭×特別支援、を考えるべく。
でも、特別支援も気になります、興味あります、だけでは、人は話を聴いてくれないだろう、と思って、特別支援の教員免許も、学部の授業に参加して、取ることにした。
(結局単位取りきれなくて、通信も活用したけど)

ただ、大学院でも新しい土地に移ったこともあって、寂しさとあいまって、焦りばかりが募ってた。

本当に養護教諭の道にいくの?
特別支援の道に行く?
やっぱりこっち?やっぱりあっち?
とずーっと迷っていた。

養護教諭やるとしたら、看護師の免許ある方が、採用されるかな。
それなら先に看護師の免許取りに行く?とかね。
それならもう大学院もやめようか、とか。
結構真剣に悩んでたなと思う。

昔、家庭裁判所の調査官の仕事も考えたりしてたから、その試験を受けてみたり。
(何かが起こる前に出会いたい、と思ったけど、やっぱりその仕事もあるかなぁなんて気になっちゃって)

ちょうど院生1年目の終わりに東日本大震災があって。
そこは。ひとまず事実だけ置いておく。

いろんなことを考えながら、いろいろ迷いながら。

だけど、今の自分は机上の空論をこねくりまわしているだけで、こんなやつの話、聴いてもらえないだろう、と思った。だから、怖いけど、ちゃんと学校現場に出よう、そう思った。

聴いてほしかった

書いてて思ったけど、わたしは何かと、「話を聴いてほしい」と思ってたんだな。
そして「同じ目線に立たないと話を聴いてもらえないだろう」とも。

だから、「きく」をたくさん考えたり、生業にできないかと思ったり、そんなこんなで、今の仕事をやっているのかもしれない。

そして今、こうやって書くことができて、読んでくださる方がいて、というのは、当時のわたしが癒されてる気がする。

ありがたい。有難いこと。

とにかくどこかで

現場に出よう、と思って、場所にこだわりはない、と思っていろんな地域の教員採用試験を受けた。

でもそんな人生甘くない。
どこも受からず。
そりゃ、場所のこだわりがないのだもの。
採用する方も、ここがいい!って子を採りたいよね。

結局地元に戻ることにして、地元の教員の臨時採用の登録をした。
連絡はとんとこなくて。
たしか、3/27とか、もう、3月の末の末。
連絡が来た。

社会人になった

小学校での支援員さんのお仕事。

わたしが現場に出る、始まりになったお仕事。
わたしに養護教諭をやってみたいと、そう確信させてくれたお仕事。

聞くところによると、養護教諭の免許ではなく、一緒にとっていた、中高の免許、が効いたらしく、支援員さんのお仕事につなげてもらえたらしい。
(よくわからないけどとっとくか、と、養護教諭プラスαでとっていた自分、あっぱれ)

社会人スタート。
全校で35人くらいしかいない小学校。
多いクラスでも10人くらい。
少ないクラスだと3人。
そこで算数のサポート。

算数なんて、苦手で、教科書なんて、たいして見てこなかったけど。
今までにないくらい、教科書見たよ。
子どもたちがどうやったらわかりやすいんだろう?と思って、勝手に教具作ってみたりね。
休み時間はずーっと子どもたちと走り回って遊ぶ。
たまに担任の先生の代わりに前に出たりしたら、1年生に、ひらがなの形が違うって言われたりね。笑

とてもとても楽しかった、だから

ほーんと楽しかった。
子どもたちの近くにいられるのがただただ楽しかった。

ただ同時に、いくら子どもの近くにいても、わたしがまだ新卒のペーペーだってこともあるけど、踏み込めない領域がたくさんあるなぁって思った。

担任だから、とか、養護教諭だから、とか、その立ち位置にあるからこそ、関われる部分がたくさんあるんだな、とも痛感した。

それは学校のなかでもそうだけど、外の研修とかセミナーもそう。
養護教諭の免許を持ってる「支援員」

「養護教諭」を実際にやってる
じゃ、行けるところも、聴ける話も、全然違うんだな、って感じた。

子どもたちと一緒にいた時間がとても濃く楽しかったからこそ、「養護教諭」だからこそ行ける領域を、だからこそ見える景色を、見に行ってみたいと思った。

やっと今のお仕事、「養護教諭」に近づいてきました。
が、長いのでこのあたりで。

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