わたしの仕事のはなし。③
わたしの望みが仕事にあると、はっきり自覚してから、仕事のことをつらつらと書いています。
今回は、わたしがこの仕事(保健室の先生/養護教諭:ようごきょうゆ)とつながった経緯を。
たまたまなの。
一言でいうとね、たまたま、なんです。
全部、たまたま、なの。
でもそれだとなーんにもわからないので笑、もう少し書きますね。
わたしがこの仕事の存在を知ったのは、大学で、養護教諭の免許をとれるコースがあったから。
本当に偶然なの。
だって、教員免許とるために大学選んだわけじゃないから。
めんどくさい、からの、心理学
いろいろ無気力で全部めんどくさいと思っていたわたし。
一番めんどうだったのが、ひと。
人間関係。
それをうまくできない自分。
(このあたりはまた書きます)
あまりにもよくわからなすぎて、「心理学」をやろうと思った。
わたしの大学受験
だけど、学校とか先生とか、なにひとつ惹かれなかったわたしは、
・心理学をやりたい
・臨床心理士になるとしたら大学院に行かなきゃだからそれもあるところがいい
・だけど教育学部はいやだ
この条件にあう大学を探して、受験した。
(受験するまでも、高3なのに退学届を自分で書いたり、ハローワーク連れていかれたり、というエピソードもあるけど、それはまたおいおい。)
教育学部に行くひと全員がそうじゃないかもしれないけれど、当時、学校とか先生とかに絶望というか無関心になっていたわたしは、「教育学部に行くひとって、学校大好き!先生大好き!だとしたら仲良くなれる気がしない」と勝手に思って、教育学部じゃないところ、と決めた。
(これはただの偏見かもしれない)
当時、心理学が学べる学部って、ほぼ教育学部で、それを除くと、選択肢は一気に少なくなる。
それに加えてわたしの学力。
(どこでも行けるね、とは言えない)
(塾の先生からは、教育学部も入れるように打診されたけど、断固拒否。笑)
さいわい、家の方針としては、日本ならどこでも、という感じだったので、実際に見に行ったりして、受験した。
(浪人だけはさせられない、っては言われてた)
(あと、いざというとき新幹線で行けるところがいいから、沖縄は遠いかな、とも)
どこを選ぶか
だけど実際に入学した大学に行けたのは、実は受験が最初。
一緒に来てくれた母にも「(その土地に)行ってみて違うと思ったらちゃんと言ってね」と言われた。
それは、その前に、先生にたくさん書類とか手間かけてもらって受けるはずだったAO入試(学力だけじゃ届かないとこ)を、オープンキャンパスに行ってみて、ここ違う、と思ったから、受けるのやめた前例があったから。
(あとはわたしの無気力すぎる日々の姿もあっただろうな)
入学してからやめると言いかねないと思ったんだと思う。
そこは受験で始めて降り立ったけど、移動で乗ったタクシーの運転手さんの感じがめちゃめちゃよくて、あとその場所の空気感と、ここなら大丈夫、そんな気がした。
前期試験をそこで受けて、本当は後期試験で受ける予定だったところが本命といえばそうだった
(本来なら前期試験から本命受けるんだろうけど、レベル的には後期試験で受ける大学のが偏差値高くて、でも、倍率などの望みがあるのは前期試験より後期試験、だけど後期試験で落ちても困る、だったから、まず受かる可能性高いところを前期で受けて受かっておこう、みたいな感じでこんな順番だったの)
(これはこれで担任の先生と一悶着あった)
のだけど、
行ってみていい感じだったのと、もう受験疲れたわ、と思って、前期試験受かったから、後期試験は受けずに、そのまま受かったところに行くことにした。
そんな感じでわたしの進路が決まった。
無気力からの、おもしろい
おもしろいことに、わたしの学部は、今じゃそういうところ多いかもだけど、一年生は全部教養だから、何の授業取ってもよくて。
文系と理系の学科がくっついる学部で、元々教育学部だったのが改編された(教員免許取れる仕組みだけ残ってる)学部だったから、国社数理英体プラス心理学とかそのあたりの授業とか、ほんとバラエティーに富んでて。
やりたかった心理学のほかに、沖縄文化論とか、中国夢診断とか、気になるのを取りまくってた。
あんなに無気力だったのにね。
自分で自由に選んでいいよ、って言ってもらえたら、ほんと楽しかった。
母から言われていたこと
で、ひとつ、母から言われていたのが、「ならなくていいから、教員免許取れるなら取っておきなさい」ということ。
(ならなくていい、とか言ってたけど、もしもの就職先の候補を増やしておけるように、ということだったらしい)
「ならなくていい」と言われて、あまり深く考えてなかったのと、学部の2年生から別れるコースごとに取れる免許が違ってたから、どれにしようかなー?と選べるわくわくによって、教員免許とることに違和感なく進んでいった。
(思えばあんなに学校とか無関心だったのに不思議よね)
候補として思っていたのは、やってみたいと思っていた心理学のコースのほかに、教科として好きだった英語のコース(英語科の免許が取れる)。
これがまた偶然で、
心理学ができるコースは、ざっくり「健康系」とされてて、進むと半年後にさらにサブコースにわかれて、こころの健康だと「心理系」、からだの健康だと「体育、養護教諭の免許もとれる系」となってた。
心理学を勉強してみて、おもしろいけど仕事にするのは違うかも、と思ったわたし。
教員免許、の観点から、英語も捨てがたいけど、体育は苦手だけど、養護教諭?ってなんだ?(養護って特別支援のこと?それは興味ある!)ってうっすら勘違いから始まり、それいいかもー、から、保健室の先生だと知り、それもありかも!ということで、そっちのコース(サブコース)に進むことに。
そんなこんなで、養護教諭、という職と出会い、免許が取れる道に進んだのでした。
ちなみに、わたし3人兄妹で、母からはそれぞれに、教員免許取れるなら取っておきなさい、と言ったらしいのだけど、なんやかんやで取ったのわたしだけ。
それが仕事につながってるんだから、なにがどうなるのかわからない。
しかも、わたしがいた学部の仕組みとして、養護教諭の免許が取れたのは、わたしの次の代(ひとつ下の後輩)まで。
それ以降は違う学部に組み込まれて、この学部では取れなくなったそう。
そう。
だから、たまたまなんです。
たまたま、たどり着いたの。
たまたま、このタイミングだったから、なの。
思えば不思議よね。
ただ、今は、この偶然に感謝してる。
だからわたしは、おもしろいことができている。
まだ、生きていられるの。
とはいえ、このあと、ストレートに養護教諭になったわけじゃなくて、紆余曲折あるのだけど、ちょっと長いから、この記事はこのあたりで。
また書きます。
②の記事で、無難有難のことばを書いたら、こんなコメントをいただきました。
ほんとそうだなー。
すぐにどちらかに、とおもってしまうけれど、すべて表裏一体。まる(球)。
見る場所が変われば、見え方もぜんぜん違う。
なんなら、無難と有難が、順番待ちしてただけかもしれない。(次に控えてたかもしれない。)
こうやっていろんな人に教えてもらいながらいけるの。
本当にうれしく。ありがたいことです。
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