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■現代詩を書いている「連中」

現代散文自由詩人の独り言(35)

きのう28日。またダメだろう、と思いながら神保町の書店に行き、現代詩手帖最新号を立ち読み。投稿はもちろん採用も選外佳作にもならず。7カ月連続の空振り。
今月は投稿するのをうっかり忘れたので、来月の12月号には当然載らない。

採用されている「現代詩」の数々に、サッと目を通すと、やはり、みなさんお上手である。
それはわかる。それが、現代詩の何たるか…なんだろう。実際に選ばれているのだから。
しかし、詩を選ぶ発行元の思潮社の編集者、2人の選者、書いている彼らと自分との差、違いはなんだろうか。
掲載される誌のどれもが、「うまい」のは何となくわかる。
彼らは、僕の詩とは違って一段も二段も高みに立ち、世の中を見て書いているような気がする。
それは遠い世界なのだ。彼らは、遠い世界を見て、絵空事を書いている―僕にはそう思える。

僕が書いてきて、このnoteに投稿している「詩」は、現在そして過去から連なる自分の目に映り、耳に入ってきたものに心境を投影し、詩の形で描写してきたつもりだ。しかも、分かりやすい言葉を使って、だ。
時に地を這い、穴に落ち、泥まみれになった感情を書きつづる…という気持ちでいる。
そこに、読む側に若干の共感をしてもらいたい、という色気はある。

ただ、自分の詩がどうにも「彼ら」に受容されない…というのが現実だ。

詩について、もっと議論、意見を同じ実作者たちと交わしたい。しかし、何度も書くが、このnoteという場では限界だろう。


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