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■note、数字に気持ちが揺れる

「note」を読んで(3) 不定期刊

現代の人は、数字によって判定・評価される。
僕の場合、会社員なので、これまで「それ」が付きまとってきた…。
…というわけでは、あまりない。

マスコミの編集、取材部門に長くいたので、あまり縁がないのである。
その世界での「数字」といえば、何だろうか?
出した原稿の本数、特ダネの数…??

マスコミにおける営業の基幹といえばまず広告を取ること。これは大手企業との直接取引のほか、電通はじめとした大手代理店と一体となることが多いので企業と企業の間、そして代理店を駆けずり回るイメージ。その次に販売だと、新聞や本、雑誌の売り上げを増やす。これは新聞販売店、書籍取次、大手書店を行き来する関係性から来る。
放送だと報道の取材は別にして、ドラマ、バラエティーなどは視聴率の多寡。ネタとキャスティングで数字が左右され、制作者の力量がはっきりするだろう。

僕の場合、地方支局で事件事故、本社で経済、政治、文化、芸能、生活から風俗まで…高校野球などは別として運動以外のジャンルはほぼカバーし、幅広い取材、編集(デスク)業務をしてきたつもり。原稿の本数はそこそこ、特ダネはほとんどなかったな(笑)。
数字ではっきりとした評価を受ける仕事ではなかった…と思う。
つまらない原稿、上から注文が出たものを書き続けていればまあ、OKみたいな。
その意味で、「予算に届かない」と嘆いている、営業や販売の人たちの感覚はあまり分からない。
これって幸せなこと、と自分では思うんだが。

長々と仕事のことを書いていしまった。これは「マスコミへの道」のほうに改めて書いたほうがいいかもしれん。

今回書きたかったのは、noteにおける数字だ。
2月4日の初投稿となった現代詩「牛/風(風の中の牛)」を皮切りに79本の記事を投稿したが、それぞれにビュー、コメント、スキ…という数字=評価がついてくる。
正直、それに一喜一憂している。

前にも詩で書いたが、幼稚な駄文の海であるnoteを見ていると、ホント高校生以下レベルの文章が多数読まれていて、あれれ…と思うことが多い。
なんで、僕の名文(現代詩)が読まれない!! と愚かにも思ってしまうのだ。笑止。

で、気になっていることは、今まで一番最初に書いた愛すべき現代詩のスキが7つあったのが、それが4つに減っていることだ。それが一覧のほうでは5つの表記になっているし…、なんでだろうか。

まあ、書けば書くほど、見てくれる人は増えるし、こんな駄文(これは自分の文章をへりくだって言っている、本来の意味で)でも読まれればうれしい。
その気持ちでやり続けて行けばいいのである。

それでも、
数字の動きには気持ちが揺れは…する。


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